小さなカワニナ(川蜷)の行進

⇒エコツアー 2014年11月22日 22:15

141108カワニナ@エコカフェ.JPG対馬二日目。鮎もどし自然公園内の瀬川本流に川岸斜面地から流れ込む小さな薄水に沿って小さなカワニナが点々と並んでいました。どうも流れの先の本流の淀みを目指しているように思えました。[2014年11月8日撮影:対馬エコツアー@阿部]

カワニナ(川蜷、学名:Semisulcospira libertina (Gould))は腹足網腔目カワニナ科カワニナ属の水生巻貝。141108カワニナ子供@エコカフェ.JPG分布は日本全土、東アジアに広く、亜熱帯域から温帯域の川、湖沼などの淡水底に棲息、渓流には少ない。成貝は殻長30o、殻径12oほど、全体的に丸みを帯びた円錐形、螺層は10階超だが殻頂は欠損しやすい。普通、3、4階に見えるという。殻は厚く、オリーブ色、淡褐色、時に色帯が付くが、鉄分付着により表面は黒色化する。食性は落ち葉、付着珪藻、デトリタスなどの有機物。繁殖期は春と秋、雌が微小子貝を300から400匹ほど産みます。ホタル幼虫の餌となるため各地でホタルのために養殖されています。

国内では古い琵琶湖・淀川水系で、適応放散による種分化が進み、ビワカワニナ種群(約15種)として知られています。小笠原諸島における陸産貝類の適応放散は典型的ですが、同じ原理なのでしょう。


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鮎もどし自然公園の美しさに

⇒エコツアー 2014年11月21日 01:05

141108鮎もどし自然公園2@エコカフェ.JPG対馬二日目。対馬は水の島でもあります。やや甘口で美味しい「白嶽」という美酒もあります。白嶽は対馬を代表する霊峰、そこから名前を取ったお国自慢のお酒です。上島北上の道すがら「鮎もどし自然公園」に立ち寄りました。[2014年11月8日撮影:対馬エコツアー@阿部]

自然公園の名前のとおり水量が豊富な瀬川の清流に身も心も投げ出すことができます。川床や岸辺は大きな花崗岩の一枚岩が組み合わされているようで美しく壮観です。141108鮎もどし自然公園@エコカフェ.JPG基岩である頁岩に時に砂岩が挟まる対州層群に花崗岩が貫入し冷えて固まったものと考えられます。当然両地層の境界には熱で焼けて極めて硬いフォルンフェルスが発達しているはずです。緩やかな花崗岩の傾斜面を流れに身をゆだねるウォータースラライダーも楽しめそうです。水中を覗いても生き物の影はなかったが、湿った岩場ではタニシの小貝が幾つも確認されました。

私たちが訪ねた時はせせらぎの音ばかり、時折響く小鳥のさえずりと白鷺の飛び立つ羽音くらい。盛夏には勢いを増した日差しが清流の水面に眩しく、元気な子どもたちの歓声が周囲に響き渡るだとうと、想像してみたくなります。


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対馬厳原町豆酘の美女塚

⇒エコツアー 2014年11月20日 00:05

141108美女塚@エコカフェ.JPG対馬二日目。対馬は民話が多く残る島でもあります。下島から上島へと昼食処を探しながら車を走らす。豆酘地区に入り、案内板に導かれるように「美女塚」へ。ほっこりと肩が流れた石碑が立っています。『美女塚伝説』を紹介します。[2014年11月8日撮影:対馬エコツアー@阿部]

昔、豆酘の村の阿比留の家に鶴という美しく賢い親思いの娘が住んでいました。評判は遥か遠く都まで届き、あるとき采女として都へ召喚されることになりました。都へ上がる日、村が見下ろせる山道に駕籠が差しかかった時、別れの願いを申し出、駕籠を下りました。141108美女塚石碑@エコカフェ.JPG年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、「美しく生まれたために、二人は悲しみにあうのなら、これからは、この里に美女が生まれませんように!」と叫ぶと同時に舌を噛み、自らの命を絶ったという。村人は親思いの鶴を深く哀れみ『鶴王御前』と呼び、美女塚を建て弔ったのだという。采女とは、古代天皇の宮廷に、地方豪族の娘が出仕したもので、慣行化されていたものを大化の改新の時に制度として確立されたものだそうです。

この時以来、村の娘たちは顔が目立たぬように手ぬぐいで隠し、ハギレを縫い合わせて作ったみすぼらしい地域独特の衣服「はぎとうじん」を身にまとい、「濁し」が入る汚い豆酘方言が生まれたという。すごいことです。


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豆酘龍良山林木遺伝資源保存林は

⇒エコツアー 2014年11月19日 07:59

141108豆酘龍良山林木遺伝資源保存林看板@エコカフェ.JPG対馬二日目。山中トレッキングに挑戦。対馬厳原町内山地区にある龍良山(標高558.5m)、天道信仰の聖地(神山)であるが故、伐採されずに手付かずの自然、照葉樹林が残され、国の天然記念物、特に、山頂周辺や北西斜面は林木遺伝資源保存林に指定、平均樹齢200年超の巨木が見られます。[2014年11月8日撮影:対馬エコツアー@阿部]

低標高地域(標高120m以上)にはスダジイ林、標高350m以上ではアカガシ林が発達し、高木層にイスノキやイヌマキ、イヌガシ、ウラジロガシ、シデなど、下層にはカクレミノ、アリドウシなどが出現。141108龍良山林内@エコカフェ.JPG山頂付近は雲霧林を形成し、ランやシダなどの着生植物も多く自生し、山頂は藪に覆われています。シュスラン、オクモミジハグマ、ナツエビネ、ナガバノコウヤボウキ、ツシマママコナ、チャボツメレンゲなども見られます。

西側に木槲山、東側に萱場山が連なり、山体地質は泥岩に上昇マグマが接触してできたホルンフェルス。シイ林からアカガシ林まで連続した照葉樹林が保存されているのは日本でも数が少なく貴重と考えられています。


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和多都美神社は神代にいざない

⇒エコツアー 2014年11月18日 08:00

141108和多都美神社正面鳥居@エコカフェ.JPG対馬二日目。神々の島、第二弾は豊玉町仁位浅茅湾東岸にある海宮(わだつみのみや)、和多都美神社です。創建は不詳、貞観元年(859年)に清和天皇から従五位上の神階を賜る。古くから竜宮伝説が残り、神代の昔、この地に海神である豊玉彦尊が宮殿を造り、「夫姫(おとひめ)」と名付けたという。鳥居が5つあり、うち2つは海中にあり、神秘的な世界を創っています。[2014年11月8日撮影:対馬エコツアー@阿部]

主祭神は彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(豊玉彦命の二女で伊弉諾尊と伊弉冉尊の孫娘)の夫婦神。141108和多都美神社海方向鳥居@エコカフェ.JPG大潮になると潮が神殿近くまで達し、豊玉姫命と彦火々出見尊の出逢いに由来する「玉の井」や磯良恵比寿の御神体などが鎮座。豊玉姫命は豊玉彦尊の娘、神武天皇の祖母。『古事記』では、海幸山幸伝承に登場する女神。航海の守護神として人びとから深く信仰。ある時、彦火々出見尊が失った釣り針を探し、この宮に3年滞在、豊玉姫命を娶り妻としたと伝承。本殿裏手の海宮山には照葉樹林の原生林が広がり、一角に古く斎場であったと思しき磐座があり、その手前に戦後に造られた「豊玉姫命の墳墓(御陵)」の壇があります。

九州には式内社は107社あるが、なんと対馬に29社、壱岐に24社が集中しているそうです。古神道の流れをくむ古い神々が多く鎮座していることが分かります。ならば、古代の人びとの世界観を学ぶにはうってつけの地と言えるのでしょう。


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厳原の宿坊西山寺の変遷は

141108西山寺山門@エコカフェ.JPG対馬一日目。初日宿は厳原西山寺の宿坊。西山禅寺の石碑のある階段を上がると西山寺本堂と鐘楼、左手には以酊庵が佇んでいます。朝5時から本堂で、15分×2の座禅修行が行われ、一人だけの参加。前夜、柏崎市役所の職員一行も宿泊していたようです。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

天平13年(741年)の聖武天皇の「国分寺建立の詔」を受け、対馬には島分寺が整備された。元安元年(857年)の変により炎上、翌年、国府嶽(こうだけ)の麓に大日堂を建立し、大日寺と号す。141108西山寺階段@エコカフェ.JPG時代が下り、永正9年(1512年)、宋貞国夫人の菩提寺となったことから、法号に因み西山寺と改号、真言宗から臨済宗に改宗。享保17年(1732年)の日吉にあった朝鮮通信使一行の宿泊所でもあった以酊庵が焼失したことから、その機能が西山寺に移され、西山寺は瑞泉院に移されたが、明治元年(1868年)、以酊庵が廃寺となり、元へ戻られたという。

境内には幕府の命により日朝関係に尽力した外交僧の玄蘇(げんそ)・玄方(げんぼう)の墓があり、玄蘇が文禄4年(1595年)に民の神宗万暦帝から「日本国光禅師」の号を賜った際に授かった蜀紅錦の袈裟など以酊庵の遺品も伝承されているという。


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萬松院は対馬藩主宗家墓所

⇒エコツアー 2014年11月17日 07:24

141108万松院石段@エコカフェ.JPG対馬二日目。対馬は寺院の島です。萬松院は天台宗の寺院であって、創建は1615年(元和元年)、開山は円純法印、開基は第20代藩主宋義成。本尊は如意輪観音。対馬藩主宗家の墓所であり、宗家10代から32代までの藩主や一族の墓が並んでいます。[2014年11月8日撮影:対馬エコツアー@阿部]

当初は金石城の西側にあり、松音寺と称する臨済宗であったが、1622年(元和8年)に万松院と改称、1635年(寛永12年)に天台宗に改宗、1647年(正保4年)に現在の地に移ったという。1691年(元禄4年)、1726年(享保11年)の二度の大火で山門以外を焼失。141108墓所を訪ねて@エコカフェ.JPG山門脇から御堂内に入ると右手奥に徳川歴代将軍の御位牌が安置、右手手前奥には朝鮮国(李朝)から贈られた青銅製の祭礼用三具足(みつぐそく:鶴亀の燭台、香炉、花瓶)が置かれている。百雁木と称する132段の石段を登ると数多くの御霊屋があります。また、境内には樹齢400年を超える大杉が墓所の雰囲気を引き締めています

対馬藩主宗家墓所は、金沢藩主前田家墓地、萩藩主毛利家墓地とともに日本三大墓地と呼ばれる。対馬藩が十万石に過ぎない格式であったことを考えると、並々ならぬ力の入れようだったと推察されます。対馬は今も我が国にとって今も変わらぬ重要な地ということでしょう。


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金石城跡は今に何を

⇒エコツアー 2014年11月16日 15:38

141108金石城跡@エコカフェ.JPG対馬二日目。宿から金石城跡へ。金石城跡は、厳原町地区の清水山(標高206m)の南麓に位置します。私たちが到着した時には、韓国からの観光客がガイドを従え、大型バスで来ていました。[2014年11月8日撮影:対馬エコツアー@阿部]

起源は享禄元年(1528年)、平将盛が築いた金石屋形。寛文5年(1665年)、朝鮮通信使を迎えるため、隣地の国分寺を移転して城郭を拡張し、大手門に櫓を建て、多門櫓を造り、金石城と称したという。天守閣がないため「金石の館」とも呼ばれたそうだ。141108金石城跡案内板@エコカフェ.JPG延宝6年(1687年)に「浅原の館」が新しい府城として完成し機能は移る。文化10年(1813年)の火災で大手門の櫓が焼失、翌年再興したが、大正8年(1919年)に痛みがひどく解体。平成2年(1992年)、望楼型2重2階構造の櫓門が復元され現在に至ります。城壁は対州流の石積みであって緻密、堅牢でとても美しいです。近くには武家屋敷も残っています。

対馬の史跡の多くは石垣や石積み塀が多用されているのが特徴です。石垣に使われた石は石英斑岩で元々は白色であったものが、風雪を経て褐色の鉄錆色に変色し、そこに地衣類が灰色の斑紋が入っています。


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対馬の生態系はユニーク

⇒エコツアー 2014年11月14日 08:05

141109万関橋展望台から@エコカフェ.JPG対馬は九州本土より132q、朝鮮半島からは49.5qの距離に位置します。地形は南北に長くリアス式海岸が発達し、新生代古第三紀に形成された頁岩や粘板岩から成る対州層に花崗岩や石英斑岩、はんれい岩が貫入、下島中央部には硬いホルンフェルスも分布。隆起と沈降を繰り返した隆起準平原と考えられるという。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

対馬暖流の影響による温暖な気候下、大陸に近いという特殊性から、大陸系植物や対馬固有種、本土系植物が混生し、1200種から1300種と極めて豊富な植生になっています141107石瑛斑レイ岩@エコカフェ.JPG下島ではシイカシ等の暖帯性照葉樹林、上島ではコナラノグルミなどの落葉広葉樹林が優占。また、大陸系植物としてはダンギク、チョウセンノギク、ハクウンスゲ、チョウセンヤマツツジ、ゲンカイツツジなど、対馬固有種としてはシマトウヒレン、ツシマギボウシが知られます。森が豊かなことから、対馬固有種のツシマジカやツシマテン、対馬トカゲなど、大陸系のツシマヤマネコやチョウセンイタチ、アカマダラなどが棲息。

特に、鳥類は渡り鳥の中継地となっていることから、300種以上の野鳥が確認され、密度も高いそうです。兎に角、森に足を踏み入れると野鳥の声がひっきりなしに聞こえてきます。三宅島の小鳥たちの美しい囀りとは少し異なり、モズやヒヨドリなど存在感のある鳴き声が多いようです。


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対馬洲藻の霊峰白嶽に

141107白嶽@エコカフェ.JPG対馬一日目。太祝詞神社の次は白嶽(標高519m)、対馬は山の島でもあります。白嶽に登るには往復で半日が必要です。今回は残念ながら行程の関係もあり、陽が西に傾く中、山容をただただ眺め、登山口で引き返すことにしました。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

白嶽には大陸系植物と日本系植物が混生する特異な生態系を有する原生林が展開しているそうです。このため国の天然記念物に指定。古来より霊山として信仰を集め、山頂部は石英斑岩が大きく露出し、双耳峰が形成されている。141107白嶽登山道入り口@エコカフェ.JPGこの露岩地にはイワシデ、チョウセンヤマツツジ、ゲンカイツツジ、チョウセンノギクが自生しているそうです。頂上直下にはアカガシモミ、ヒメコマツ、イスノキスダジイなどの照葉樹林が発達し、林内はミヤマシキミ、カクレミノ、ナガバノコウヤボウキの西限となっているという。山頂付近には対馬固有種のシマトウヒレンが唯一自生するそうです。

また、山頂部には360度の大パノラマが出現し、遠望には韓国の山並み、対馬の山々、眼下にはリアス式海岸が発達する浅茅湾が広がっているそうです。次回は霊山白嶽の登頂に挑戦します。


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加志の太祝詞神社は亀卜神を

⇒エコツアー 2014年11月13日 21:49

141107加志大明神@エコカフェ.JPG対馬一日目。黒背観音堂の次は白岳へ、途中道を間違えて美津島町地区の加志岳の東麓に鎮座する太祝詞(ふとのりと)神社に。対馬は神々の島でもあります。偶然に立ち寄ることになったが、心の底から清められるような浄化力の強い霊気が漂っていることに驚かされました。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

古くは加志大明神・賀志宮とも称したという。祭神は太招戸神(太祝詞神、久慈麻知命の別名とも)と雷大臣命(いかつおみのみこと)。141107太祝詞神社@エコカフェ.JPG太詔戸神は天児屋命(天児屋根命:あめのこやねのみこと)の別名、春日大権現、春日大明神とも別称し、祝詞の神、出世の神様です。また、雷大臣命は天児屋命12世の孫に当たり、津島直の祖神、占い神事の宗家の祖神(亀卜神)だそうです。大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』に、対馬島で太祝詞神社に対し封戸2戸が寄進されたとあるそうです。これを神封といい、神封の住民(神封戸)は租税や課役を神社に納め、祝などの役職を務めることで神社に奉仕したという。京都や奈良にも同じ名前の神社があるが、こちらが本社です。

境内には板根の発達したムクノキ、下島最大と言われるケヤキのほか、タブノキカヤイロハモミジヤブツバキの大木が神聖な空間を守っています。正殿前右手には大きなソテツもあります。


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金田城は新羅防衛の最前線に

141107金田城跡@エコカフェ.JPG対馬一日目。黒瀬観音堂の次に浅茅湾の南岸に突き出た城山(標高276m)に位置する金田城跡を訪ねた。国の特別史跡にもなっているが、金田城は、飛鳥時代、対馬国に築かれた朝鮮式山城(古代山城)です。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

築城は667年(天智天皇6年)11月、633年の百済救済のための白村江の戦いに大敗したことを踏まえ、唐、新羅に対する防衛のために西日本各地に築いた大宰府などと同様に防衛施設として、対新羅防衛の最前線としたものである。141107金田城跡案内板@エコカフェ.JPG現在は山頂部に石塁、山の周囲に石垣が取り囲み、南東麓の海に通じる緩斜面を走る三本の谷には城壁が残っています。谷は北から「一の城戸」「二の城戸」「三の城戸」と呼ばれ、「二の城戸」と「三の城戸」の間のビングシ山周辺からは防人宿舎など複数の建物跡が確認されているという。

朝鮮式山城の同じ形式の山城としては、665年(天智天皇4年)に築かれた備前国の椽城(きのき)が知られているそうです。


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黒瀬観音堂の坐像二体

⇒エコツアー 2014年11月12日 23:38

141107黒背観音堂ニ体坐像@エコカフェ.JPG一日目。黒瀬観音堂へ。対馬には新羅、高句麗時代に制作された仏像が今日まで大切に守り伝えられているという。観音堂の坐像二体もそんな仏像だそうだ。なお、拝観には事前の予約が必要です。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

銅造如来坐像は、像高43.6p、統一新羅時代8世紀頃の作、国の重要文化財に指定。由来は不詳、黒瀬地区の「産神(おんな神)」として篤く信仰されてきたという。尊顔には僅かに鍍金が残り、凛として実にいい顔をされている。141107観音堂看板@エコカフェ.JPG141107黒背観音堂@エコカフェ.JPG火中損傷痕からは左袈裟上部と下部を別々に分鋳し、繋ぎ合わせるといった特異な技法を用いていることが確認できます。蓮華台座の一部や八角形の框も残っています。かつては地元の夫人が大願成就ごとに奉納した帽子、着物を厚く纏っていたそうです。銅造菩薩坐像は、像高49.0p、高麗時代末14世紀末の作、「男神さま」として信仰。火中により全体が溶解、頭部が大きく両耳を立て、ほのぼのとした尊顔です。

ご案内いただいたフジシマさんによると、像は明治時代の集落が全焼する大火の時に火が入り損傷を受けたという。元々は別々の社に安置されていたという。3月3日、桃の節句、地区の女性が集まり、観音堂一杯にお雛様を飾り、賑やかにお祭りをするんだそうです。


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昼ヶ浦の金毘羅神社での出逢い

⇒エコツアー 2014年11月11日 22:53

141107金毘羅神社鳥居@エコカフェ.JPG対馬の美津島町昼ヶ浦地区の民家脇にある鳥居をくぐり、海を見下ろす高台に取り付いた急斜小道を登と小さな社がある。漁師集落であるこの地区の金毘羅神社だ。この神社のお世話をしている氏子のお婆さんのお話を聞くことができた。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

昔は集落には漁師が多く、航海安全の神様として信仰を集め、旧暦10月、今年は10月が2回あるんだそうだが、村人が集まり社のある高台の小さな境内でお酒を飲んで賑やかにお祭りをするという。今は漁師も少なくなり、サラリーマン化したという。141107金毘羅神社境内@エコカフェ.JPG要は、浅茅湾内にマグロ養殖用の生簀をもって、労働者を雇って生計を立てている。マグロは安定した収入をもたらしてくれるが、餌のイワシやサバを漁して確保するのは大変だともいう。天気次第のところがあるから、と屈託のないしわくしゃの笑顔。愛想よくいろいろ教えてくれた。私たちのように東京からこの地を訪れる旅人はめったにないともいう。

社には石が祀られていた。金毘羅とは、ガンジス川に棲む鰐を神格化した水神であるクンピーラが中国に伝わり鰐魚や蛟竜(竜になる前の魚)となり、日本に伝わると神仏習合して、蛇型となり、海上交通の安全を守る神として定着したという。


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ツシマテン(対馬貂)は準絶滅危惧に

141107ツシマテン@エコカフェ.JPG対馬空港から昼ヶ浦に向かう車道で、交通事故で死亡したらしいツシマテンに遭遇。カラスが群がり死骸を啄もうとしていたが、私たちの車が近付くと周囲を取り囲むように距離をおいていた。この島はやたらカラスが多い。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

ツシマテン(対馬貂、学名:Martes melampus tsuensis Thomas)はネコ目イタチ科テン属の哺乳類。テンの対馬固有亜種、環境省レッドリストで準絶滅危惧(NT)、国の天然記念物に指定。分布は対馬に限り、主に森林で棲息。体長は65cmほど、尾は約19cmあり太い。体毛は季節変化。夏毛は毛衣が褐色で、頭部や顔は濃褐色、喉から胸部が赤や赤褐色、黄褐色、四肢は黒色。冬毛は毛衣が褐色、頭部が汚白色、顔や四肢は黒褐色、喉から胸部が淡褐色や黄褐色です。食性は雑食、ネズミ類、鳥類、爬虫類、昆虫類、ムカデなどの土壌生物、ヤマグワマタタビの果実など多様です。単独行動をし、繁殖期は夏、着床遅延があるため、翌年4、5月頃に2頭から4頭を出産するそうです。

しばしば集落周辺に出没し、ニワトリを捕食することから、害獣扱いされています。交通事故による死亡の増大が懸念されているといいます。本州、四国、九州には日本亜種のホンドテンが知られます。


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郷土料理、ろくべい(六兵衛)

⇒エコツアー 2014年11月10日 23:59

141107ろくべい卵とじ@エコカフェ.JPG対馬(対馬国)や島原半島(肥後国)での郷土料理に「ろくべい(六兵衛)」なる郷土料理があります。対馬では古く「せんじる」と呼ばれていたそうです。[2014年11月7日撮影:対馬エコツアー@阿部]

ろくべいは薩摩芋から取った乾燥させた澱粉「セン」をお湯で練って発酵させた生地のを穴のあいた鉄板が先についた羽子板状の六兵衛突きで、熱湯の中に押し出し茹で上げます。色は黒っぽく、麺が短いのが特徴で、地鶏やシイタケ、メジナを用いたすまし汁に入れて食します。141107せんそば@エコカフェ.JPG細くそば状にしたもを「センソバ」といいます。何れも、結構、仄かに甘味があり、美味しく頂くことができます。山地の多い対馬では、よく食され、一般に「セン」は団子状で保存、使う時に粉にするという。「セン」の由来は千の手間がかかることにあるというから大切であったに違いありません。

一方、島原地方では細く切って干した保存用の薩摩芋を粉にし、山芋をつなぎに使う点が異なるという。島原地方の主食は粟、大麦、米で、ろくべいは補助食とされたと考えられます。


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福岡空港にて振り返り

⇒エコツアー 2014年11月09日 17:17

1415520987798.jpg1415521000367.jpgエコカフェらしいよい旅でもありました。対馬は自然豊かで歴史も奥深く興味はつきません。戻ったらレポートまとめます。

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対馬万関橋展望台から

1415513285951.jpg1415513296022.jpgリアス式海岸に山々が深いす。 

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鰐浦の韓国展望所より

1415491982929.jpg1415491992812.jpg1415492003498.jpg対岸は眺望出来ません。

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