鎌倉五山、浄智寺は寂寥を

ビーグル号の航海日誌 2015年01月13日 20:00

111119浄智寺@エコカフェ.JPG浄智寺は鎌倉五山第四位、臨済宗円覚寺派に属し、創建は弘安6年(1283年)、開基は北条師時、山号は金峰山。本尊は三世仏(阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来)。三世仏とは過去・現在・未来を象徴。かつての寺領、浄智寺から源氏山に至る山道中間付近の天柱山に、五層の供養塔が建っています。[2011年11月19日撮影:第11回自然観察会@阿部]

最盛期には七堂伽藍、塔頭11寺院、僧侶500人ほど、鎌倉幕府滅亡後の室町時代においても寺勢は衰えなかったという。111119天柱山の層塔@エコカフェ.JPGしかしながら、15世紀半頃から都市鎌倉の衰亡とともに荒廃し、江戸時代末に塔頭8院を維持したものの、大正12年(1923年)の関東大震災で大部分が倒壊、今日の伽藍は昭和になってから復興されたものだそうです。三門は重層一間一戸、上層が鐘楼を兼ねています。昭和15年(1940年)、神武天皇即位2600年を祝った年、元より来朝し、指導的役割を果たした僧侶竺僊(じくせん)[1329年〜1348年]を供養して建供されたもののようです。

総門の手前には鎌倉十井のひとつ「甘露の井」があり、奥の洞窟には鎌倉江ノ島七福神のひとつ「布袋」様の石像を祀っています。一度はゆっくりと訪れたい寺ですね。


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マンリョウ(万両)は葉に共生菌を

ビーグル号の航海日誌 2015年01月12日 17:11

150111マンリョウ果実@エコカフェ.JPG国立科学博物館附属自然教育園内の路傍植物コーナーでよく見られます。この時期は赤色の実をつけているのが観察できます。センリョウとともにお正月の縁起物としてお馴染みです。[2015年1月11日撮影:自然教育園@山崎]

マンリョウ(万両、学名:Ardisia crenata Sims)はツツジ目サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木。分布は本州関東地方以西、四国、九州、南西諸島、国外では東アジアからインドにかけ広く、シイやカシなど暖地の照葉樹林内に自生。150111マンリョウ@エコカフェ.JPG樹高は30pから100cmほど、幹は直立し上部で開出。葉は互生だが枝先に集生し、厚く光沢があり有柄、葉身7cmから15cmほどのpの楕円形、葉縁に波状鋸歯がつき裏面にやや巻き、葉先は尖ります。花期は7月頃、小枝先に散房花序をだし、白色の小花をたくさん咲かせます。花冠は5裂、雄蕊は黄色で三角形にまとまる。果実は径7mm前後の球形の液果、10月頃に赤色に熟し、翌年2月頃まで残ります。

万両は葉縁の鋸歯基部の小さな隆起(葉粒)に共生菌を宿し、空中の窒素を固定。葉裏は灰緑色で、明点と黒褐色の細点が散在するのが特徴です。果実は野鳥の餌となり、鳥散布します。アメリカのフロリダ州では外来有害植物の厄介者として扱われているようです。


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ニッケイ(肉桂)は馴染みで

ビーグル号の航海日誌 2015年01月11日 23:01

150111ニッケイ@エコカフェ.JPG国立科学博物館附属自然教育園で散策。園内に入ると門の近くにある樹肌が特徴的な常緑樹が存在感を示しています。ニッケイと表札があります。ニッケイ属にはニッケイの他にシナニッケイ、セイロンニッケイなどを別種扱いすることがあるようです。[2015年1月11日撮影:自然教育園@山崎]

ニッケイ(肉桂、学名:Cinnamomum sieboldii Meisn.)はクスノキ科ニッケイ属の常緑高木。分布は沖縄島、久米島、石垣島、徳之島、国外ではインドシナ半島などに広く、日当たりのよい暖地に自生。本州には享保年間に中国経由で(シナニッケイが)移入。150111ニッケイ樹幹@エコカフェ.JPG樹高は10mから15mほど、樹幹は直立しよく分枝、葉は互生し革質で光沢、葉身8pから15cmほどの長楕円形で全縁、葉先は尖ります。葉裏に伏毛が生え帯白色、三行脈は葉先付近まで伸びます。花期は5月から6月頃、新葉の展開とともに葉腋に集散花序をつけ、淡黄緑色の径約5mmの小花をたくさん咲かせます。花弁6枚、雄蕊6本。果実は長径約12mmの楕円形の液果、秋に黒褐色に熟します。似ているヤブニッケイは三行脈が途中で消失することで見分けるそうです。

有効成分は精油(ケイヒアルデヒドやオイゲノールなど)を含み、漢方では樹皮を「桂皮」、小枝を刻んだものを「桂枝」と呼び、風邪の初期症状の発汗、解熱、神経痛、健胃調整などに使います。また、主に近縁のセイロンニッケイ(シナモン)は、お菓子やカレーのスパイス、京菓子「八つ橋」やニッキ飴、シナモンティーなどにも用います。私たちに馴染みのある植物なのです。


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思い出の「チョコ電」を増穂町に

ビーグル号の航海日誌 2015年01月10日 23:46

141228山梨交通電車の車両(江ノ電に再就職)@エコカフェ(和田).JPG増穂町は山梨県中央部に位置し、平成の大合併で2010年に、鰍沢町と合併して富士川町となった。旧増穂町に「山梨交通株式会社電車の歴史」と題した看板が掲げられ、薄小豆色の古びた車両が展示してある。どことなく見たことのあるような。[2014年12月28日撮影:山梨県富士川町@和田晃]

明治から大正にかけて隆盛を誇った鉄道馬車は、大正15年に山梨交通株式会社により甲府と甲斐青柳間で電車運行が開始されたそうだ。141228山梨交通の電車の歴史@エコカフェ(和田).JPG全長20.3km、所要時間は約55分。上下線ともに30分間隔の運行、年間の利用者数は年間2、3百万人に上ったという。時代の波は早く訪れ、昭和37年に廃線、バスに切り替えられたという。当時の廃止車両のうち2両が長野県上田丸子電鉄へ引継がれ、さらに昭和46年に江ノ島電鉄に継承。「チョコ電」の愛称で親しまれたが、昭和61年に任を終え引退し、故郷に里帰りしたんだそうです。

各地域で電車が廃止され、バスに切り替えられた変遷の歴史を伝える貴重な生き証人と言えよう。何時まで、静かに語りかけ続けてくれるのだろうか。やがて人々の記憶、歴史の彼方に消えてゆく運命にあるように思われてならない。


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センリョウ(千両)は原始的

111119センリョウ@エコカフェ.JPG鎌倉源氏山公園の片隅で赤い実をつけているセンリョウが土砂降りの天に耐えていました。3年2月程前、深まりゆく秋としては珍しい大雨でした。名前の由来は冬期に赤い果実が千両の値打ちがあるとしたことにあります。マンリョウと同じように、正月に床の間を飾る縁起ものです。[2011年11月19日撮影:第11回自然観察会@阿部]

センリョウ(千両、仙蓼、学名:Sarcandra glabra(Thunb.)Nakai)はコショウ目センリョウ科センリョウ属の常緑小低木。分布は本州関東南部以南、四国、九州、南西諸島、国外では東アジアからインドにかけて広く、温暖な照葉樹林内に自生。樹高は50pから100cmほど、葉は対生し薄く草質で淡緑色、葉身4pから6cmほどの長楕円形から卵状楕円形で葉縁に鋭鋸歯、葉先は尖ります。花期は6月から7月頃、枝先に小花が集まって咲きます。小花は花弁や萼を欠き、雌蕊柱頭1個、子房脇に雄蕊1個がつきます。果実は径6mm前後の球形の核果、冬季に赤色に熟します。

センリョウの茎は木質化しているが木部を構成する導管はなく、導管への遷移過程である仮導管だそうです。小低木としたが、木と草の中間的な特性があって、原始的被子植物の一群(無導管植物)であるそうです。


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タグ:鎌倉 広域種
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源氏山公園の葛原岡神社は

ビーグル号の航海日誌 2015年01月09日 23:50

111119源氏山公園@エコカフェ.JPG訪ねた日は多くの先霊の深い悲しみにくれたような土砂降りの雨であったことが記憶に鮮明です。鎌倉時代、鎌倉の源氏山公園のある丘陵には刑場があったという。今日、その北側一角に縁結びに御利益がある葛原岡神社があり、境内には俊基の墓とされる宝篋印塔が建てられています。[2011年11月19日撮影:第11回自然観察会@阿部]

創建は新しく明治20年(1887年)、主祭神は日野俊基です。俊基卿もこの地で処刑されたひとり。明治時代になると南北朝時代の南朝を再評価する機運となり、俊基卿の忠君顕彰を讃え、明治天皇が建立されたのだそうだ。日野俊基なる人物は、公家であって後醍醐天皇の忠君として鎌倉幕府の倒幕運動に活躍したが、元弘3年(1333年)、2度目の密議発覚「元弘の乱」により捕えられ斬首。

社殿には江戸時代後期の行政家、二宮尊徳邸内にあった楠から彫られた縁結びの神様である大黒様の像が安置。また、俊基卿が学才に優れていた。「縁結び」と「学業成就」のご利益があるそうです。


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檜原村の払沢の滝に

ビーグル号の航海日誌 2015年01月08日 20:00

141115払沢の滝@エコカフェ.JPG昨年秋の自然観察会。多摩川水系北秋川の支流のセト沢にとりつく払沢の滝を堪能しました。子供たちは落下する水の飛沫を浴びながらも大満足、歓声を上げていました。みんなで記念写真をパチリ。[2014年11月15日撮影:第21回自然観察会@阿部]

この滝は日本の滝100選のひとつ。名前の由来は滝が僧侶の払子を垂らした様子に似ていることにあります。かつては「払子の滝」とも呼ばれたそうです。滝の向きは東、落差は4段で約60m、最下段で約26mもあり、水量も多く、深淵には古くから大蛇が棲むと伝えられます。厳冬期にはなんと全氷瀑してしまうこともあるそうです。夏は涼しくて気持ちよいでしょう。

滝の断崖面をよく見ると地層が傾斜していたり、筋が入っていたり、緩やかに褶曲していたりしています。崖面に沿って「五日市−川上構造線」という大断層が走り、滝が落ちているのです。構造線の北側はジュラ紀の秩父帯、南側には新しい白亜紀の四万十帯小仏層群が付加しているのです。


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会津下郷の高倉神社に古を

ビーグル号の航海日誌 2015年01月05日 20:34

141101高遠神社第一鳥居@エコカフェ.JPG茅葺屋根の民家が並ぶ大内宿の街道脇にひときわ大きな白木の鳥居が立っている。高倉神社(旧高倉大明神)の鳥居で注連縄が結ばれ結界を示し、これより先は神域であることを強く意識させています。 [2014年11月1日撮影:会津下郷大内宿@阿部]

一の鳥居を潜り、田園の中に伸びた参道の先右手に弐の鳥居、潜ると鬱蒼とした森に入り、小川を渡り長い階段をゆっくり上り、灯篭を過ぎると参の鳥居があり、神社拝殿があります。その右脇には樹齢800年の老杉が見事です。141101雨の大内宿@エコカフェ.JPG創建は鎌倉末期から南北朝の頃(1330年代)と伝承。主祭神は高倉宮以仁王(高倉宮は後白河天皇第3皇子)。由来は伝説による。時は治承4年(1180年)、源頼政の依頼で諸国源氏の協力をあてに平清盛に反旗を翻し、京都宇治川で合戦、破れて頼政は討死、高倉宮は行方不明(追撃されたとも逃れたとも)。伝説によると、高倉宮は、近江から東海道を経て甲斐、信濃、上州沼田、尾瀬、檜枝岐、伊南、大内(当時山本村)、只見を抜け越後に落ち延びた。宮の後を追った橘姫、長旅の末、宮に逢うこと叶わずにして逝去。後に、大内村と改名し、宮の御霊を勧請したようだ

死亡説(「平家物語」)によると、都を脱出した宮は光明山寺の鳥居前で追撃。なるほど、木津川市(旧山城町)綺田神ノ木には高倉神社とその境内に宮内庁管理の以仁王大墓(御陵)が知られます。一方、京都市綾部にも養和元年(1181年)創建の高倉神社があるなど各地に知られ、当時の人気の高さが伺えます。


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オオシケシダ(大湿気羊歯)は点々と

ビーグル号の航海日誌 2015年01月04日 11:45

140228オオシケシダ (2)@エコカフェ.JPG小笠原諸島父島の西海岸に至る山中で見たシダ。ガジュマルの大木が生える昔砂糖精製工場の跡地付近の林下に点々と自生していました。やや乾燥気味の場所であるが、調べるとオオシケシダのようです。[2014年4月28日撮影:未開の森と南島をめぐる父島満喫の旅@阿部]

オオシケシダ(大湿気羊歯、学名:Lunathyrium bonincola(Nakai)H.Ohba)はイワデンタ科オオシケシダ属の常緑性シダ植物。小笠原固有種、環境省レッドリストで準絶滅危惧(NT)に指定。140428オオシケシダ@エコカフェ.JPG分布は小笠原列島に限り、林下のやや湿り気の多い場所に自生。草丈は1mほど、根茎は太くやや塊状で直立、葉柄の部に鱗片が多く、葉は革質でやや光沢、葉身70pほどの単羽状複葉で先は尖り、側羽片は深裂します。ソーラス(胞子蓑群)は線形で包膜は全縁、中肋に斜めで脈に沿ってつきます。

この仲間はセイタカシケシダのように栄養葉と胞子葉のニ形が一般、例外的にシケシダは同形であることが知られます。オオシケシダがどちらであるのかは確認できませんでした。どなたかお教えてくだされば幸いです。


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会津下郷大内宿の高遠そばの今昔

ビーグル号の航海日誌 2015年01月03日 20:00

141101高遠そば@エコカフェ.JPG高遠蕎麦なるものが会津地方で広まったのは、陸奥会津初代藩主の保科正之が信濃高遠の出身であったことにあるという。藩主正之が好んだ蕎麦、大根おろしをのせ、冷たいだし汁をかけただけのものをいつしか「高遠そば」と呼んだのではないだろうか。当然、当地でも蕎麦は食べられていた。[2014年11月1日撮影:会津下郷大内宿@阿部]

高遠そばのことを箸の代わりにネギを使うことから今日では「葱そば」の名称のほうが通りがよい。長葱の白い軸を箸代わりにして食べるのは後世になってのこと、きっと遊び心でしょうね。141101そば処玉屋@エコカフェ.JPG葱は辛いし、食べづらいことこの上ないのですが、これが却って観光客に気に入られているようです。さて、保科正之について少し触れておこう。時は慶長16年(1611年)5月7日、正之は徳川ニ代将軍秀忠の四男(庶子、隠し子)として誕生、6歳の時に信濃高遠初代藩主保科正光の養子となり、寛永8年(1631年)、20歳で藩主を継承。その後、幕府配慮により25歳の時に出羽山形藩主、さらに寛永20年(1643年)、32歳で陸奥会津初代藩主として会津に移封したんだそうです。

会津下郷の「高遠そば」はもはや伝統的な「高遠そば」ではなく、今日的な「高遠そば」、要は「葱そば」に進化している。それでも「高遠そば」を捨てるつもりはないといいます。そのほうが、人びとの心に余韻を残す語り掛けがあるということでしょう。


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イセエビ(伊勢海老)とお正月

ビーグル号の航海日誌 2015年01月02日 20:00

141231イセエビ@エコカフェ.JPGお正月なのでイセエビを紹介します。伊勢海老は、鏡餅を年神様にお供えする際に飾りつけに用いられます。飾り方は地方によって異なります。白木の御三方に半紙を敷き、昆布、ゆずり葉、四手、裏白の順でおき、四手を重ね、その上に大、中、小の丸もちを重ね、一番上に橙の実を乗せます。橙と丸もちの間に根と葉のついたやぶこうじと松葉を半紙で束ねたものを飾り付け、伊勢海老を正面にくくりつけ、金銀の水引で締め付けます。

150101鏡餅@エコカフェ.JPGイセエビ(伊勢海老、学名:Panulirus japonicus (Von Siebold))は十脚目イセエビ科イセエビ属のエビ。分布は房総半島以南から台湾までの西太平洋や九州、朝鮮半島南部の沿岸域の岩場や珊瑚礁に生息。体長は20pから30pほど、体型は太い円筒形で多くの棘をもつ硬い殻に覆われ、体色は暗赤色。触覚や歩脚も頑丈な殻に覆われます。雌雄の違いは、オスは触覚と歩脚が大きく、メスでは腹脚が大きく第5脚が鋏脚に変化しているという。夜行性。食性は肉食性で貝類、ウニなどの小動物。イシダイや蛸などの天敵から身を守るためにウツボと双利共生しています。イセエビを狙う蛸をウツボが捕食する関係にあるのです。

最後に鏡餅の飾り物の意味について。裏白は「長寿・夫婦円満」、ゆずり葉は「家計が絶えない」、昆布は「よろこぶ」、やぶこうじは「子孫繁栄」、松葉は「長寿」、は「代々栄える」との願いが込められているそうです。


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タグ:広域種
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アンコール・ワットを訪ねて

ビーグル号の航海日誌 2014年12月30日 20:00

131229アンコールワット静寂@青柳.jpgアンコール・ワットはカンボジアのシェムリアップから北に6.5kmほどにあるアンコール遺跡のひとつ。サンスクリット語でアンコールは王都、クメール語でワットは寺院を意味するそうです。1992年、アンコール遺跡として世界遺産に登録、現在も修復作業が続けられています。[2013年12月29日撮影:アンコール・ワット@青柳]

12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世により、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やして建立された。1431年、王都がプノンペンに遷ると放棄、131229アンコールワット@青柳_n.jpg1564年にアンチェン1世が未完成部分に彫刻を施し、孫のソター王が仏教寺院へ改修、ビシュヌ神を四体の仏像に置き換えたという。1632年(寛永9年)、森本右近太夫一房が日本人として初めて参拝。1887年、カンボジアは仏領インドシナ。1972年、カンボジア内戦により仏像の首がはねられるなど破壊を受けたという。境内を外周、東西1500m、南北1300m、幅190mの壕で囲まれ、西を正面とし、前庭を抜けると三重の回廊に囲まれる5つの祠堂がそびえます。詳細は機会をみて紹介しましょう。

ビィシュヌ神の化身はクールマ(大亀)とされ、ヒンドゥー教の天地創造神話「乳海撹拌」に登場します。竜宮伝説に通ずるものがあるように思えますね。


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会津問屋は目出度く閉店に

ビーグル号の航海日誌 2014年12月29日 14:45

1419831024494.jpg1419831162131.jpg1419831185418.jpg会津美里町によるアンテナショップ、会津問屋は3ヶ月間の下北沢での実証が終わりました。弓田さんたちとの懇親会は有意義でした。今回の実証で多くのことを学んだようです。生産者の目線と消費者の目線の開き。何をどうすれば売れるのか、買ってもらえるのか。今後に期待したいです。

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松江城は千鳥城ともいうが

ビーグル号の航海日誌 2014年12月28日 20:00

松江城2@山口香林.jpg松江城は島根県松江市にある城郭で、天守閣が現存し、国の重要文化財に指定。松江は古い街並みも残り、古今調和のとれた美しい都市です。一度はしっかり訪れたい町です。[写真:山口香林]

松江は江戸時代には松江藩の藩庁がおかれ、出雲地方の政治経済の中心。大政奉還が行われ、江戸から明治に時代が変わると、それまでの日本人の精神を支えるものの破壊が実施され、廃仏毀釈、廃藩置県に伴う廃城令もそれらのひとつである。文明開化、西洋文明が移入され、制度や慣習が大きく変化していった。松江城@山口香林_n.jpg松江城3@山口香林.jpgそうして、松江城は、天守以外が払い下げられて撤去、今日では城址公園として利用されているのです。

山陰地方では天守閣が現存する唯一の城跡。天守は複合式望楼型4重5階地下1階、江戸時代初期(1607年)に建造されたもの。象徴的な天守を芸術的な価値観のもと残せたのは幸いと言うしかありませんね。


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志あみ地蔵尊は歴史の彼方に

ビーグル号の航海日誌 2014年12月27日 20:00

140329志ほあみ地蔵尊@エコカフェ.jpg港区の麻布十番駅からほど近い高速道路が上を走る古川をニの橋で渡ると日向坂の上りが見えます。坂を上る途中の左手に龍原寺を過ぎると左手に神明坂が緩やかに下ります。その坂の途中左手に地蔵尊が鎮座します。「志ほあみ地蔵尊」と書かれています。[2014年3月29日撮影:港区@山崎]

調べてみると「志ほあみ地蔵尊」は、龍原寺が八丁堀に創建された元和7年(1621年)頃から歩みをともにし、現在の地には寛文5年(1665年)に移転したとあります。子育てと延命の地蔵尊で、名前の由来は海岸近くで「潮」を「浴びて」いたことにあるそうです。寺の移転は幕府か大名の意向があったのでしょう。寺とともに大名付きの民衆も一緒に移転させられ、信仰の対象であった地蔵尊もともに移転してきたのではないでしょうか。140329志ほあみ地蔵尊@エコカフェ.jpg140329志ほあみ地蔵尊ちょうちん@エコカフェ.jpg推察の域を出ませんが。歴史的に神社はともかく寺の移転は多く見られるようです。

都内には多くの地蔵尊があってきっと調べられていらっしゃる方がいるのでしょうね。散歩していてどうしてだろうと思うことが多いのですが、案内板まで用意されている地蔵尊は少ないようです。


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田中地蔵は今日に何を

ビーグル号の航海日誌 2014年12月22日 20:00

131002田中地蔵尊@エコカフェ.JPG元代々木の住宅街を歩くと地蔵通り商店会の一角に「地蔵尊」が鎮座しております。田中地蔵尊と称されているようです。渋谷区教育委員会による案内版があり、次のように解説されています。今日、この解説から何を受け止めればよいのでしょう。[2013年10月2日撮影:渋谷区@山崎]

「単価地蔵尊縁起」によると、元文三(1738)年十月、向井七左エ門が、五穀成就、庶民安楽、子供の延命を祈って、福泉寺領の田地に地蔵尊を安置したといわれています。その後、寛政ニ(1790)年に、奈良岡寺の観音像を模写し、各尊像の台座を新調して田中地蔵と呼びました。広い境内(敷地一畝約100平方メートル)に杉一本を植えて村人たちの目標としました。毎年七月廿四日を縁日とし、この日には、農民や子供たちが集まって祭典を行っていました。131002田中地蔵@エコカフェ(代々木上原).JPG131002庚申塔@エコカフェ.JPG
 右の石仏が、如意輪観世音菩薩像
 中央の石仏が、鶏亀地蔵菩薩像
 左の石仏が、延命地蔵菩薩像
といわれています。
 左手前に、享保十(1725)年につくられた庚申塔が建っています。

庚申塔には、庚申信仰の主尊の青面金剛とその足元に三猿が添えられています。三猿が添えられるのは、8世紀頃に天台宗系留学僧が『論語』にある「不見・不聞・不言」の教えを日本に伝え、後に猿を神使とする山王信仰が庚申信仰と習合したためとの説があります。


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郷土料理、伊勢うどんの今昔

ビーグル号の航海日誌 2014年12月21日 20:00

121028いせうどん@エコカフェ.JPG伊勢神宮内宮をご参拝した後は、伊勢うどんと赤福を御馳走になった。もうかれこれ2年も前の事。遷宮の準備中だったと記憶している。ここでは伊勢うどんなるものを紹介しよう。[2012年10月28日撮影:伊勢視察@山崎]

江戸時代以前から三重県伊勢地方で普通に農民に食べられていた地味噌のたまりをつけたうどんが起源。手間のかかるうどんはハレの日の食事、最高の御馳走であったとも考えられているという。これを約360年前、浦田町橋本屋7代目小倉小兵が「伊勢うどん屋」を開業し、お蔭参りの参詣客に提供したのが始まり。太く腰があるのだが、何時でもでも食べられるよう茹でっぱなしにし、鰹節等のだし汁でつゆを整え、柔らかく食べやすくしたことに利点があったようだ。当初は単に「うどん」とか「並みうどん」「素うどん」と称されていたものを、昭和40年代に他地域と区別のためにも「伊勢うどん」称されるようになったという。

ハレの日の食事を参詣者の大切なおもてなしとして供するとはすごい知恵の働きだと思いませんか。今日ではベースは変わらないものの、嗜好に合わせいろんなトッピングをして楽しむようになっているのです。ある種、進化ですね。


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伊豆諸島最南端の有人島は青ヶ島で

ビーグル号の航海日誌 2014年12月13日 14:54

140529青ヶ島@松崎(エコカフェ)_n.jpg青ヶ島は伊豆諸島最南端に位置する有人の島です。東京から南に358km、八丈島からも南方71kmの太平洋に浮かぶ火山島です。小笠原からの帰路に船上から松崎さんが撮影したものです。[2014年5月29日撮影:青ヶ島@松崎哲哉]

青ヶ島は周囲9kmほどで高さが50mから200mの海蝕崖が取り囲みます。島の南部に二重式カルデラ複成火山であって、直径約1.5kmの外輪山(大凸部:最高標高423m)と内側の中央火口丘からなります。しかしながら、青ヶ島自体が島の北東に位置する海中カルデラの外輪山の南西部分の一部を形成するという。集落は人口約1900名、島の北部、外輪山の外に広がっています。3か所あった港は道路崩壊で2か所が閉鎖、残る「三宝港」の就航率は6割弱と低く不便。島民の足は八丈島との間を結ぶ定員9名のヘリコプターだそうです。

集落周辺以外では携帯電話は一切使えないが、山中は緑も深く、内輪山を周回するコースもあり、「三宝港」近くには温泉もありと自然を満喫するには最高の島のひとつであろう。エコカフェでもぜひ訪島を計画したいと思う。


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大海原に出現する北硫黄島の絶景を

140529北硫黄島@松崎_n.jpg南硫黄島硫黄島は以前に紹介したが、残る火山列島の北硫黄島を紹介します。エコカフェ会員でもあるナショナルランドの松崎さんから写真の提供を受けました。[2014年5月29日撮影:北硫黄島@松崎哲哉]

北硫黄島は小笠原諸島に属する火山列島(硫黄列島ともいう。)のひとつです。遺跡から石器時代には人びとが定住していたと考えられています。明治以降は母島からの移民が集落を形成し、サトウキビや野菜栽培、鰹漁に従事。昭和19年(1944年)、太平洋戦争の激化により全島民が本土に強制疎開、戦後は米軍統治下、昭和43年(1968年)に返還されたが、人びとが戻ることはなく無人島となっています。人はされど、クマネズミの食圧や外来植物は35種、21%を占めるなどの問題が継続しています。また、外来種が環境省レッドリストで情報不足(DD)に指定の日本固有亜種シマハヤブサは、北硫黄島では戦時下に絶滅したと考えられています。

火山列島の背軸に位置する海面下には南春日海山、福神海山、日光海山、南日吉海山、福徳岡ノ場、北福徳堆、海勢西ノ場、噴火浅根、三福海山、海徳海山、海形海山、沢海山などが知られます。


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サンショウ(山椒)は日本最古の香辛料

ビーグル号の航海日誌 2014年12月12日 00:56

141130サンショウ黄葉@エコカフェ.JPG国立科学博物館附属自然教育園内の武蔵野の植物コーナーで見られる植物から、サンショウを紹介します。アゲハチョウの幼虫の食草でもあります。雄花は「花山椒」、果実は「山椒」として、新芽や若葉なども食用にされ、特に「ちりめん山椒」は美味しいです。[2014年11月30日撮影:自然教育園@山崎]

サンショウ(山椒、学名:Zanthoxylum piperitum L.) はムクロジ目ミカン科サンショウ属の落葉低木。分布は北海道、本州、四国、九州、屋久島、国外では朝鮮半島南部に及び、山野に自生。141130サンショウ樹皮@エコカフェ.JPG樹高は2mから4mほど、樹皮は灰褐色でコルク質状のいぼ突起がつき、枝には鋭い棘が2本ずつ対生。葉は互生し、葉身10pから15pほどの奇数羽状複葉、小葉は1pから2pほどの楕円形で縁は鋸歯状です。花期は4月から5月頃、雌雄異株、葉の付根に黄緑色の小花をたくさん咲かせます。果実は径約4oの球形の核果で秋に赤く熟し、裂開すると中から黒色の種子が散布されます。

果実にはサンショオールやサンショアミドの辛味成分ほか、ゲラにオール、ジペンテン、シトロネラールなどの芳香精油などが含まれます。この仲間は世界の熱帯・亜熱帯から温帯にかけて広く、イヌザンショウ、イワザンショウなど約250種がしられます。


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