ウメノキゴケ(梅の木木毛)は綺麗好き

ビーグル号の航海日誌 2015年02月24日 07:53

150201ウメノキゴケ@エコカフェ.JPG鎌倉散策。寺院巡りや境内の季節の花を愛でることは定番であろうが、地衣類の観察となると稀であろう。自然観察に親しんでいると、ついつい奇妙な住人にも目が向いてしまう。ここでは大気汚染指標とされるウメノキゴケを紹介しよう。荏柄天神社のウメの枝に取り付いていました。[2015年2月1日撮影:鎌倉@山崎]

ウメノキゴケ(梅の木木毛、学名:Parmotrema tinctorum (Nyl.) Hale)はウメノキゴケ科ウメノキゴケ属の葉状地衣。150201ウメノキゴケA@エコカフェ.JPG分布は本州、四国、九州、南西諸島、国外では朝鮮半島、中国、北アメリカに広く、平地や山地のウメやサクラ、スギなどの樹幹や小枝、岩上に着生。地衣の大きさは径5pから20pほど、地衣体は楕円形や不正形に広がり、裂片は幅5oから20oほどで先は丸頭。背面は灰白色から灰緑色、背面中央には顆粒状や円筒状の裂芽を生じ、腹面は中央部が黒色で偽根が散生し縁は淡黄色から淡赤褐色です。レカノラ型の子器が稀につき、髄層は白色、二次代謝物質はアトラノリン、レカノール酸を含むという。

近似のものにキウメノキゴケがあるが、地衣体の背面が淡黄緑色から黄緑色で表面に皺が寄り、粉芽はなく裂芽を生ずることで見かけることができるのだそうです。しかしながら他にも似ている近縁種が多いので注意深い観察が必要です。


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ウメ(梅)は紅梅と白梅

ビーグル号の航海日誌 2015年02月23日 21:12

150201白梅の花@エコカフェ.JPG鶴岡八幡宮を訪ねた日、晴れてはいたがまだまだ日陰に入ると寒さが襟元から忍び込んで来るほどでした。鎌倉の寺院の境内などでは、咲いていたり、蕾だったり、紅梅、白梅をよく見かけることができました。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

ウメ(梅、学名:Prunus mume (Sieb.) Sieb. et Zucc.)はバラ科サクラ属の落葉中高木。原産地を中国中部(日本には奈良時代に移入)とする説、日本固有種とする説がある。現在では多くの園芸種がある。150201紅梅の花@エコカフェ.JPG樹高は6mほど、樹皮は暗黒色で不揃いの割目が入り、樹形は不整で太い枝を斜上。葉は互生し有柄、葉身4pから9pほどの倒卵形で鈍鋸歯、葉先は尖ります。葉身基部に蜜腺。花期は2月から4月頃、葉の展開に先立ち、一節毎に葉腋に花をひとつ咲かせます。均整のとれた径約2p前後の5弁花、白色やピンク、赤色があります。花弁と萼片は5枚、雌蕊1本、雄蕊多数。果実は径2、3pの球形の核果で表面にビロード状の微毛が密生。梅干しや梅酒として古くから親しまれます

クエン酸や有機酸を多く含むことから健康に良いとされます。「塩梅(あんばい)」とは梅の塩との加減が良いことを意味したそうです。また、未成熟の青梅には青酸配糖体(アミゴダリン)が含まれ、腸内細菌の働きで加水分解されるとシアン化水素を発生します。


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タグ:鎌倉
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太田姫稲荷神社は古を今に

ビーグル号の航海日誌 2015年02月22日 15:24

150222太田姫神社A@エコカフェ.jpg神田駿河台の一角に太田姫神社が鎮座します。旧社名は一口(いもあらい)稲荷神社。江戸時代には、神田明神、寛永寺とともに江戸城の鬼門を守護したそうです。[2015年2月22日撮影:神田駿河台@山崎]

創建は長禄元年(1457年)、主祭神は倉稲魂神(宇迦之御魂神)、菅原道真、徳川家康。末社に金山神社。社伝によると、太田道灌の愛娘が重い天然痘(疱瘡)に罹った際に、故事を聞き一口稲荷神社を勧請し、江戸城本丸内に社殿を建立。150222太田姫神社@エコカフェ.jpgその後、道灌に白狐が現れ、江戸城の鬼門を守るとの託宣があり、城内の鬼門に遷座し、太田姫稲荷大明神と奉唱した。慶長11年(1606年)、江戸城改築に際して、西丸の城外鬼門にあたる神田川の右岸(現、聖橋南詰の東側)に遷座。明治5年(1872年)、村社とし「太田姫稲荷神社」に改名したという。昭和6年(1931年)、総武線開通工事に伴い、現在の地に遷座されたそうです。旧社所在地に残されたムクノキ(椋の木)には「元宮」の木札と神札が貼られています。

京都の一口稲荷神社は、承和6年に小野篁(平安時代第一の漢詩人)が荒海の船上で普門品を唱えているときに波間に出現した白髪老翁から、疱瘡から守護するためのお告げがあり、「太田姫の命」を祀ったという故事が残されているそうです。


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タグ:神田駿河台
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ウラミゴケモドキ(裏見木毛擬き)は

ビーグル号の航海日誌 2015年02月21日 20:00

140913ウラミゴケモドキ@エコカフェ.JPG南アルプスの北端に位置する入笠山(標高1955m)山中で観察されたカラマツの樹幹に着生する暗茶色の地衣体。調べるとウラミゴケモドキのようです。一緒にヤマヒコノリも見られます。[2014年9月13日撮影:入笠山事前視察@山崎]

ウラミゴケモドキ(裏見木毛擬き、学名:Nephroma helveticum Ach. form. helveticum)は子嚢菌門チャシブゴケ菌網ツメゴケ目ツメゴケ科 ウラミゴケ属の葉状地衣。分布は北海道、本州、四国、九州をはじめ世界各地に広く、樹皮に着生。地衣の大きさは径3pから5(8)pほど、不規則に分裂し、裂片幅2oから4oほどで先は円頭、時に歯状に深裂。背面は褐色や暗褐色、稀に灰褐色、光沢か毛を生ずる。裂芽は幅0.1oほどの円筒形、やがて扁平、粉芽はない。髄層は白色、共生藻はシアノバクテリアの一種。裂片の先の腹面に径約5(8以下)oの無柄の盃状子器がつきます。子器の縁は葉条や櫛歯状に突出、子器盤は暗褐色。

この仲間には裂芽状の小裂片を多数つけるチヂレウラミゴケ、裂芽を欠くが粉芽のつくヘリトリウラミゴケ、地衣体の背面に細毛を生ずるケウラミゴケなどが知られます。ペリトリウラミゴケとケウラミゴケは入笠山山中でも観察されるそうです。


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鶴岡八幡宮末社丸山稲荷社は何故に

ビーグル号の航海日誌 2015年02月20日 08:16

150201丸山稲荷神社@エコカフェ.JPG鶴岡八幡宮本宮の左奥の小高い丘の上の稲荷神社。鶴岡八幡宮末社丸山稲荷社です。本宮より高い位置に鎮座するのは不思議な気がします。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

丸山稲荷社は、八幡宮の創建よりも古く、かつては八幡宮の裏山にあたる大臣山中に祀られていたという。八幡宮造営の際に現在の地に遷された。祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)。この神様は「穀物の神様」で地主神とも考えられています。倉稲魂神(=宇迦之御魂神)の別名に御饌津神(みけつのかみ)、150201丸山稲荷神社階段@エコカフェ.JPG150201丸山稲荷社鳥居@エコカフェ.JPGこれは狐の古名「ケツ」から「三狐神」とも当てたことが稲荷と狐の同一視の発端であるという。また、同一視される稲荷神(=稲荷大明神)は秦一族の氏神です。しからば、秦一族の影響のもと鎌倉幕府が開かれたのではないかと推察されるのではないでしょうか。

本殿は明応9年(1500年)に造営、境内で最も古い建物だそうです。元は源実朝を祀る柳宮社であったものを明治期に移築したそうです。一方、柳宮社は、源頼朝を祀る白旗神社に合祀されています。


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長輿山妙本寺は霊跡本山

ビーグル号の航海日誌 2015年02月19日 23:55

150201妙本寺本堂@エコカフェ.JPG本覚寺山門から東方にある谷戸に妙本寺があります。妙本寺は日蓮宗の本山(霊跡寺院)、池上法縁五本山のひとつでもあります。創建は文応元年(1260年)、開山は日朗、開基比企能本。本尊は三宝尊です。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

この谷戸には、鎌倉時代に源頼朝に仕えた御家人の比企能員一族の屋敷があったそうです。建仁3年(1203年)、源頼家の跡目争いによる比企の乱(比企能員の変とも)で、比企一族が北条氏を中心とする大軍に攻められ滅ぼされた。150201妙本寺仁王門@エコカフェ.JPG150201妙本寺山門@エコカフェ.JPG
比企能員の末っ子の比企大学三郎能本は、寛元元年(1243年)日蓮に帰依し、文応元年、屋敷を日蓮に献上し、比企一族の霊を弔うために法華堂を建てたのが始まりという。境内には比企一族の供養塔、蛇苦止の井に入水自殺したとされる源頼家の妻で能員の娘の若狭局を祀る蛇苦止堂、焼跡から見つかった若狭宮の子である6歳の一幡の袖切れを祀る「一幡の袖塚」などがあります。また、蛇苦止大明神社には、妙本寺の守護神である蛇苦止大明神が祀られています。

境内は広大、木造仏堂建築の祖師堂は鎌倉最大級でありひときわ見事です。また、日蓮が池上宋仲邸で臨終する際に枕元に掛けられた「十界曼荼羅」(「臨滅度時の御本尊」とも)が伝わっています。うなずけます。


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トゲサルオガセ(棘猿尾枷)では

ビーグル号の航海日誌 2015年02月18日 07:52

140913トゲサルオガセ@エコカフェ.JPG入笠山(標高1955m)山中、大阿原湿原近くの林道脇ではナガサルオガセの衣をまとったカラマツ林の美しい姿を見ることができます。ここでは同じ山中でみたサルオガセの仲間であるトゲサルオガセを紹介します。[2014年9月13日撮影:入笠山事前調査@山崎]

トゲサルオガセ(棘猿尾枷、学名:Usnea aciculifera Vain.)はサルオガセ科サルオガセ属の樹状地衣。分布は北海道、本州、四国、九州、国外では台湾、中国、ヒマラヤに及び、樹枝や岩上に着生。地衣体の長さは5pから10(20)pほどで輪状の割目は無く、微小な天状から針状の粉芽を生じます。主茎は基部のみで枝は二叉を繰り返し(D型分枝)、斜上ないし平伏します断面は円形、中心に軟骨状の中軸、中間に白色の綿毛のような随層、外側に皮層が覆いますレカノラ型の子器を生じます。二次代謝物質はウスニン酸、スチクチン酸を含みます。

日本で見られるトゲサルオガセの仲間は、先に紹介したナガサルオガセのほか、ヨコワサルオガセ、フルイサルオガセ、ヒゲサルオガセ、コフクレサルオガセ、ツブコナサルオガセ、ビホロサルオガセ、ハコネサルオガセ、アカサルオガセなど約40種を数えます。


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センシゴケ(穿刺木毛)は穿孔が

ビーグル号の航海日誌 2015年02月17日 21:10

140913センシゴケ@エコカフェ.JPG入笠山(標高1955m)の山中、入笠湿原から山頂までの行程では多くの地衣類を観察することができます。ここではウメノキゴケの仲間のセンシゴケを紹介します。[2014年9月13日撮影:入笠山事前視察@山崎]

センシゴケ(穿刺木毛、学名:Menegazzia terebrata (Hoffm.) A. Massal.)はウメノキゴケ科センシゴケ属の葉状地衣。分布は日本全土、北半球に広く、低地から低山の樹皮や樹鞘まれに岩上に着生。地衣の大きさは、径2pから4pほど、時に10p以上、裂片は幅1、2pほどで灰白色から灰緑色で平滑、先端部分の縁は帯褐色。背面に径約1oの平坦な穿孔を生じ、その縁や裂片の背に粉芽をつけ、裂片先端近くが筒状に膨らみ、半球状や、歯牙状に裂した、粉芽塊を生じます。稀に径1oから4oほどの盤が栗色のレカノラ型の子器がつきます。髄層は白色、腹面は黒褐色で皺を生じ、偽根はない。二次代謝物質はアトラノリン、スチクチン酸、コンスチクチン酸、メネガチア酸を含むそうです。

この仲間には日本固有種のヤマトクダチイ(コフキフクレセンシゴケ:北海道から九州、穿孔突出、粉芽生ず)とフクレセンシゴケ(天城山系と富士山周辺、クダチイに酷似、髄層にカペラート酸含有)、ウスキタグチイ(本州福島・埼玉・富山・長野:ツガ樹皮着生、ツブクダチイに酷似、髄層にスクワマート酸含有)、広域種のクダチイ(穿孔突出、粉芽欠く)、ツブクダチイ(本州栃木から和歌山・台湾:針葉樹着生、淡黄緑色、穿孔突出しまばら、粉芽生ず)、ナメラクダチイ(濃緑色、穿孔平坦、粉芽欠く、裂片重畳)などが知られます。


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ウチキウメノキゴケ(内黄梅の木木毛)らしい

ビーグル号の航海日誌 2015年02月16日 23:03

140913ウチキウメノキゴケ@エコカフェ.JPG南アルプスの北端にある入笠山(標高1955m)山麓に広がる入笠湿原から山頂を目指す途中の登山道脇で見た地衣類。漸くのことで調べると、ウチキウメゴケというらしいです。[2014年9月13日撮影:入笠山事前視察@山崎]

ウチキウメノキゴケ(内黄梅の木木毛、学名:Myelochroa irrugans (Nyl.) Elix et Hale/Parmelina homogenes (Nyl.) Hale)はウメノキゴケ科ウチキウメノキゴケ属の葉状地衣。分布は本州、国外では朝鮮半島、中国、台湾、タイ、インド、ネパールに及び、平地から山地の樹幹や岩上に生育。地衣の大きさは径3pから8(15以上)pほど、葉体は厚く、背面は淡緑灰色から帯褐色で平滑、擬盃点や突起(パスチュール)、粉芽、裂芽もつかない。腹面は黒色、長さ1,2oの黒色の偽根が密に生じます。背面の中央に径1oから5oほどのレカルノ型の子器があり、子器盤は褐色です。

名前の由来はウメノキゴケの仲間であって、髄層が黄色であることから「ウチキ」としたものです。


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シッポゴケ(尻尾蘚)は美しい

ビーグル号の航海日誌 2015年02月15日 22:52

111218シッポゴケ@エコカフェ.JPG京都大学フィールド科学教育研究センター附属上賀茂試験地内で観察できる蘚苔類からシッポゴケの仲間を紹介します。ハイゴケと混生していたが、しっかりしたパッチをつくっています。調べると、シッポゴケのようです。[2011年12月18日撮影:第6回エコの寺子屋@阿部]

シッポゴケ(尻尾蘚、学名:Dicranum japonicum Mitt.)はシッポゴケ科シッポゴケ属の鮮類。分布は日本全土、国外では朝鮮半島、中国、ロシアに広く、半日陰の腐植土に生育。草丈は5pから10cmほど、茎は直立し、白色の仮根が密生。葉は乾燥時には直角に開出し、葉身7mmから11mmほどの狭披針形で上部に鋭鋸歯、先は尖ります。剳ソは長さ5、6pほど、凾ヘ円筒形で横向きにつき、剿Xは僧帽形です。

似ているオオシッポゴケは名前に反して全体としてやや小さく、葉先が広く尖るか鈍頭となるそうです。ともかく細かな観察が必要ですね。


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オオマツゲゴケ(大睫毛木毛)は腹が真っ黒

ビーグル号の航海日誌 2015年02月14日 23:28

111218オオマツゲゴケ@エコカフェ.JPG京都大学フィールご科学教育研究センター附属上賀茂試験地内の高台に行くと京都の町を見下ろすことができます。利用には許可が必要です。事務所前の植え込みでウメノキゴケの仲間を見つけました。調べるとオオマツゲゴケのようです。[2011年12月18日撮影:第6回エコの寺子屋@阿部]

オオマツゲゴケ(大睫毛木毛、学名:Rimelia reticulata (Taylor) Hale et Fletcher)はウメノキゴケ科マツゲゴケ属の葉状地衣。分布は北海道、本州、四国、九州、南西諸島、国外では亜熱帯から温帯に広く、樹幹や岩上に着生。地衣の大きさは径4pから20pほど、地衣の背面は淡灰色から緑灰色でキマラ(網目模様)が入り、裂片縁に黒色のシリア(睫毛状の構造物)が多数つく。また、シリアのない裂片縁にソラリア(粉芽塊)を生ずる。ここまではマツゲゴケと同じ。異なる点は、ソラリアの生じた裂片縁の腹面まで全て黒色になることです

似ているものにマツゲゴケ、背面に裂芽を伴うチヂレマツゲゴケ、背面に裂芽に加え白点やや亀裂が入るオオチヂレマツゲゴケ、ソラリアがなく裂芽のみ生ずるマツゲゴケモドキ、シリアの生じないキウメノキゴケが知られます。


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ソリシダレゴケ(反枝垂蘚)では

111218ソリシダレゴケ@エコカフェ.JPG京都大学フィールド科学教育研究センター附属上賀茂試験地の林内でも空気が澄んでいるようで多様な蘚苔類、地衣類を観察することができます。ここでは蘚苔類のうち、調べて推察のついたものからソリシダレゴケを紹介します。[2011年12月18日撮影:第6回エコの寺子屋@阿部]

ソリシダレゴケ(反枝垂蘚、学名:Chrysocladium retrorsum (Mitt.) Fleisch.)はイヌマゴケ目ハイヒモゴケ科シダレゴケ属の蘚類。分布は本州、九州、琉球、国外では台湾、フィリピン、ベトナム、中国、インド、スリランカに及び、低地の日当たりの良い樹幹や枝に着生。草丈は10pほど、深緑色から赤褐色、茎葉は基部が卵状で細長く尖り、葉身3o、葉縁は波打ち上半分に鋸歯がつく。葉細胞の中央に1個の乳頭を生じるという。葉が反り返るのが特徴です。

ソリシダレゴケは自然度の高い樹上に出現する種の代表と考えられているそうですよ。


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妙厳山本覚寺は東身延とも

150201本覚寺本堂工事中@エコカフェ.JPG若宮大路を鎌倉郵便局のある辻を小町小路方面に向かうと本覚寺の裏門が通りに面しています。もちろん日蓮宗の寺院です。裏門から入ると本堂はすっかり覆いを施され大改修中でした。[2015年1月31日撮影:鎌裏@山崎]

創建は永享8年(1436年)、開山は日出上人、開基は足利持氏。本尊は釈迦如来、両脇侍に文殊菩薩、普賢菩薩。この地には元々、夷堂(現在は蛭子神社に合祀)があり、佐渡流罪を解かれ鎌倉入りした日蓮上人が、最初に滞在して布教を再開した場所でもあったという。150201本覚寺夷堂@エコカフェ.JPG150201本覚寺裏門@エコカフェ.JPG本堂右手の祖師分骨堂には、第二世住職日朝が身延山から日蓮上人の骨を分骨し、納めたそうです。本覚寺は「東身延」とか「日朝さま」とか呼ばれています。現在の本堂は大正8年に完成。江戸期の仁王門(楼門)の右手に、昭和56年に再建の夷堂があり、江ノ島・鎌倉七福神の「えびす様」が祀られています。

夷堂は、元々、鎌倉幕府の裏鬼門にあたる場所に守り神として建立されたそうです。商売繁盛の神様であることから、商人に愛され、これより南一帯は商業地として大いに栄えたそうです。


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長慶山大巧寺はおんめさま

ビーグル号の航海日誌 2015年02月13日 00:36

150201大巧寺山門@エコカフェ.JPG若宮大路に面した大巧寺は日蓮宗の寺院、安産祈願の寺として知られています。檀家を待たないが、地元では「おんめさま」の愛称で親しまれているという。なんと本尊は産女霊神、いわく特別な事情(縁起)があるのです。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

創建も開山も不明。起源は梶原景時の屋敷内にあった大行寺という真言宗の寺院であったが、源頼朝がそこで軍評定を行って大勝利したことから、「大功寺」と改名されたという。150201大巧寺本堂@エコカフェ.JPG文永11年(1274年)、日澄上人が日蓮宗に改宗し、元応2年(1320年)、現在の地に移転。本尊縁起。江戸時代に入り、天文元年(1532年)、第五世住職日棟が難産で死に成仏できない女を、法華経を唱えて成仏させた。女は宝塔を建立し供養する恩返しとして妊娠した女の安産を助ける約束をしたことから、女を「産女霊神」として祀ったという

慶長2年(1866年)、火災により本堂、庫裡が焼失、明治3年(1879年)に再建。大正12年(1923年)の関東大震災で全壊。昭和6年(1931年)に再建し今日に至ります。


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蛭子神社は小町の鎮守

ビーグル号の航海日誌 2015年02月12日 01:30

150201蛭子神社鳥居@エコカフェ.JPG小町大路を宝戒寺から本覚寺方面に下がってくると左手に石碑に村社と書かれた蛭子神社があります。細長い参道の先に立派な銀杏が何本かあり、御神輿2基が安置され、境内には車が数台駐車されていました。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

神仏分離令により、明治6年、本覚寺境内にあった夷尊神(集落の氏神で本覚寺の守護神)を祀る夷堂を遷し、元々この地にあった七面大明神と宝戒寺にあった山王大権現(集落の氏神で北条一門の守護神)、150201御神輿@エコカフェ.JPG150201蛭子神社社殿@エコカフェ.JPGを合祀して蛭子神社と称したという。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。明治7年(1874年)、鶴岡八幡宮末社の今宮(新宮)を譲り受けて社殿。関東大震災で大破、昭和8年(1933年)に再建、内部は今宮の様式をそのまま残すそうです。

本覚寺境内にあった夷堂は、古くは現在の夷堂橋付近にあった夷三郎大明神(蛭子命)を祀る夷三郎社であって、本覚寺建立の際に遷され、「夷堂」と呼ぶようになったのだそうです。夷三郎大明神=蛭子命=夷尊神=えびす様、ということです


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叡昌山妙隆寺は難行苦行を

ビーグル号の航海日誌 2015年02月11日 14:20

150201妙隆寺本堂@エコカフェ.JPG鎌倉ぶらり歩き。鶴岡八幡宮の若宮大路の東側100oに並行する小町大路沿いにはい幾つかの寺院が点在します。そんなひとつ、東勝寺跡と腹切りやぐらを見学した帰りに立ち寄った、日蓮上人辻説法跡近くにある小さな妙隆寺を紹介します。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

妙隆寺は日蓮宗総寺院。本尊は日蓮上人。創建は至徳2年(1385年)、開基は千葉胤貞、開山は中山法華寺の妙親院日英上人150201寿老人jお堂@エコカフェ.JPG150201妙隆寺山門@エコカフェ.JPG辺り一帯は鎌倉幕府末期の有力御家人であった千葉常胤の子孫胤貞の別邸跡と伝えられる。妙隆寺は胤貞が先祖追福のため建立した七堂伽藍を備えた立派な寺であったそうです。第二代の日親上人(後年、「鍋かむり日親」とも)は、室町幕府第6代将軍軍足利義教に政道を諌め「立正治国論」を建白させようとし、拷問、焼き鍋をかぶせられる極刑を受けたという。

本堂右手の御堂に、江ノ島鎌倉七福神のひとつ欅一木造りの「寿老人」が祀られています。人びとの安全と健康を守り長寿を司ることから、足元には三千年の長寿を象徴する鹿を従えています。石像一体も祀られています。


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日蓮上人辻説法跡は

ビーグル号の航海日誌 2015年02月10日 08:47

150201日蓮上人辻説法跡@エコカフェ.JPG建長5年(1253年)、日蓮上人は鎌倉入りし、長勝寺近く松葉ヶ谷に草庵を結び、当時、武家屋敷や商家が混在する小町大路を中心に辻説法を行ったという。小町大路沿いに信者が整備したという立派な「日蓮上人辻説法跡碑」があります。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

ここで日蓮上人の生立ちを紹介しておきます。承応2年(1222年)、安房国長狭郡東条郷片海(現鴨川市)小湊で誕生。150201日蓮上人辻説法跡看板@エコカフェ.JPG暦仁元年(1233年)出家、寛元3年(1245年)、比叡山定光院に住し、三井寺、薬師寺、仁和寺、高野山五坊寂静院、天王寺、東寺に遊学。建長5年(1253年)、清澄寺に帰山すると、4月28日、日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、清澄寺仏堂で初説法、日蓮と改名。日蓮宗(法華宗)。説法では他宗を非難。文応元年(1260年)、将軍北条時頼に「立正安国論」を建白、松葉ヶ谷法難、翌年に伊豆国伊東に流罪。文永8年(1272年)、佐渡流罪、2年後に赦免、蒙古襲来を予言、5ヶ月後、元寇(文永の役)。身延山久遠寺を開山。弘安5年(1282年)、10月13日、池上宗仲邸(現、大本山池上本門寺)で死去。

当時、鎌倉は地震や洪水、干ばつなどの災害、飢饉や疫病が流行り、人びとの間に末法思想が広まっていったようです。加えて、文久4年(1268年)には蒙古の国書が鎌倉に到着するなど、大変厳しい世相だったに違いありません。


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東勝寺跡と腹切りやぐら

ビーグル号の航海日誌 2015年02月09日 00:48

150201腹切りやぐら立看板@エコカフェ.JPG無情の空間。時は元弘3年(1333年)、元弘の変により鎌倉幕府は北条一族とともに滅亡。東勝寺跡と腹切りやぐらはその証のようです。訪ねた時も辺りはひっそりと静まりかえっていました。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

元弘元年(1331年)、後醍醐天皇は倒幕運動を起こす。笠置山で挙兵、楠正成は河内で挙兵するも幕府の鎮圧で後醍醐天皇は隠岐島に配流。元弘3年、楠木勢は再挙、播磨、伊予でも蜂起。150201東勝寺跡@エコカフェ.JPG下野の足利尊氏の大軍を派遣するが、後醍醐天皇の隠岐脱出を知り、尊氏は幕府に反旗、六波羅探題を滅ぼし、都を制圧。新田義貞は一族や周辺豪族を参集し鎌倉攻めを決行。北条一族と家臣は東勝寺に籠るが、870名が切腹し自害。鎌倉幕府は滅亡した。

日本における二重権力と言われる権威(天皇)と執政(幕府)は「勝てば官軍」、政治的に勝利した者を正当な支配者として事後的に権威づけるに過ぎなかった。鎌倉幕府、室町幕府、そしてやがては「我が、我が」の戦国時代の到来となるのです


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金龍山宝戒寺は何を今に

ビーグル号の航海日誌 2015年02月08日 00:53

150201宝戒寺参道@エコカフェ.JPG鎌倉鶴岡八幡宮三の鳥居前の横王路を右へいくと突き当たった所にあるのが「萩の寺」とも呼ばれる宝戒寺。秋にはシロハギの純白の花が見事だそうです。宗派は天台宗、本尊は子育経読地蔵菩薩です。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

創建は建武2年(1335年)、開基は後醍醐天皇、開山は円観と伝承。鎌倉幕府最後の執政であった北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、建立させたものだそうだ。150201宝戒寺@エコカフェ.JPG元弘3年(1333年)、元弘の変、北条高時は新田義貞の鎌倉攻めにより切腹、鎌倉幕府は北条一族とともに滅亡したのでした

境内には太子堂があり、聖徳太子が祀られています。また、北条一族を供養するための宝篋印塔が建てられています。江ノ島鎌倉七福神のひとつ毘沙門天が鎮座します。


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征夷大将軍・源頼朝の墓は小っさく

ビーグル号の航海日誌 2015年02月07日 07:59

150201源頼朝の墓@エコカフェ.JPG西御門白旗神社の境内、大倉山の中腹にその墓はある。建久10年(1199年)、薨去。葬られた持仏堂は、以後、法華堂と呼ばれてようになったという。鎌倉幕府の初代征夷大将軍、以外にも小さな墓である。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

現在の石塔は安永8年(1779年)、子孫と称する25代薩摩藩主・島津重豪が建立。石塔の前に法華堂があったが、明治に入り廃仏毀釈で取り壊された。その代わりに、明治5年(1872年)に白旗神社を遷座したという。150201源頼朝墓全景@エコカフェ.JPG源頼朝と言えば、平治4年(1159年)の平治の乱後、伊豆国蛭ケ小島で流人、治承4年(1180年)に挙兵、奥州合戦、壇ノ浦の戦いをへて源氏再興を遂げた人物である。墓の立派さをもって、その人の偉業や周囲の人びとの敬愛を論ずるのは適当ではないのかもしれないが、霊廟もなく墓所としても小さいなと感ぜずにはいられませんでした。

法号は「武皇嘯原大禅門」(ぶこうしょうげんだいぜんもん)。頼朝の死因亡については、鎌倉幕府公式記録『吾妻鏡』にも仏事の記録しかなく、落馬説や病気説、陰謀説など謎に包まれているようです。


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