明治神宮の森を散策

ビーグル号の航海日誌 2015年11月07日 09:22

1446855458138.jpg1446855499173.jpg1446855515836.jpg近場の森でのんびり散策をするのも楽しいものです。全てはそこを訪れる人の意識に深く関わっています。

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アザミって野菜?

ビーグル号の航海日誌 2015年11月01日 20:03

1446375105177.jpgIMG_20151010_164811.JPG1446375203051.jpg先日、奥高尾でアザミ等の野草のてんぷらをいただきました!
茶屋の親父さんが言うには、日本にアザミは100種類くらいあって、食えないアザミはなく、「春だともっと美味しくて、茎も食べられるよ〜!」とのこと!
調べると根っこも食べられるようで、“山ゴボウ”の漬け物はアザミの根っことのことで、西洋のアンティチョークってのもアザミらしいです。また、昔から薬としても使われてきたらしく、正に生活に密着した野草って言うより野菜なんですね。

中むら@エコカフェ山乃会

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上野村の旧黒澤住宅

ビーグル号の航海日誌 2015年10月17日 13:10

150815級黒澤住宅門@エコカフェ.jpg上野村に国の重要文化財に指定の黒澤家住宅が保存されています。現在の上野村、神流町、旧三原村の一部は江戸幕府の天領で、上山郷、中山郷、下山郷の三郷からなり、黒澤家は農家でありながら、代々、上山郷の大総代を務めていたという。[2015年8月15日撮影:上野村@山崎]

黒澤家は代々、御林守でもあり、御巣鷹山の管理に当たってきた。当時、上山郷には鷹の保護領が27カ所指定され、将軍家に鷹狩りの巣鷹を献上してきたという。現存の住宅は、18席中頃の建築、間口22m、奥行16m、総二階切妻造り、31畳もある囲炉裏の切られた「茶の間」には大きな神棚があり、150815旧黒澤家住宅案内板@エコカフェ.jpg150815旧黒澤住宅正面@エコカフェ.jpg茶の間の周囲に「主人部屋」「女部屋」「客間」「納戸」などの家族の居室が配置。玄関は三つ、手前の「大戸口」は土間に通ずる家人が日常に使う勝手口、中央の「村玄関」は村の行事の時に使用、奥の「式台」は特別のお客様をお迎えするための玄関だそうです。また、幕府の代官が訪れたときの部屋として「上段の間」「中段の間」「中の間」「休憩の間」が西側に並んでいます。屋根には水に強い栗の木の尺板を並べ、3400個もの押さえの石を使用しているそうです。

二階は仕切りのない広い板間で養蚕に使われていたが、現在は、養蚕、機織り、紙漉き、畑仕事、炭焼きなどの生業や生活に使われた民具を展示しています。解説が十分ではないが、子供たちが山村の農家の生業を学ぶにはよいかもしれません。


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幡ヶ谷は源氏の白旗から

ビーグル号の航海日誌 2015年10月16日 23:59

12074502_951805524886659_7292845163690564899_n[1].jpg京王線幡ヶ谷駅の近く、高知放送社員寮の敷地内に「旗洗池跡」の石碑がある。甲州街道から少し入ったところだ。[2015年10月12日撮影:幡ヶ谷@山崎]

平安時代後期、奥州での後三年の役(1083年から1087年)が終わり、上洛する八幡太郎こと、源義家が道すがら、この地の池で白旗を洗い、松にかけ乾かしたという伝説がある。その池の名を「旗洗池」と呼び、備前唐津藩主小笠原氏の邸宅の庭にあり、清水が湧き神田川に注いでいたそうです。12122517_951805468219998_2953994671759875646_n[1].jpg11988403_951805494886662_4312522724525922667_n[1].jpg残念なことに昭和38年(1963年)、埋め立てられたという。明治39年(1906年)に記念碑が建立され、今日に至るそうです。

洗ったと言われる白旗は、現在、金王八幡宮に宝物として保存されているそうですよ。何気ない散歩途中の寄り道でした。


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マルハナバチは高山の働き者

ビーグル号の航海日誌 2015年10月11日 15:43

IMG_20151010_164811.JPG花の多い時期、山を歩いていて良く見かける昆虫は、何と言ってもマルハナバチです。
フサフサの毛で覆われていて、くまのプーさんに出てくるような可愛らしい姿で、一生懸命蜜を集めている姿は愛しくも感じられます。マルハナバチは大人しい性格のようで、近くでカメラを構えても威嚇するようなことはありません。
なんで高山で良く見かけるのかと言うと、昆虫には珍しく体温調整が良くできており、5度くらいの寒さでも大丈夫だからだそうです。フサフサの毛のお陰かも知れませんね。
蜜蜂のように団体で動かず、その時期に一番蜜を持っている花から集中的に蜜を集めます。定花性と言うらしいですが、ビジネスで言えば“マーケティングの出来る職人気質のセールスマン”って感じでしょうか(笑)
ますます好きになっちゃいます♪

[山の会幹事@塔の岳(2015.10.10)]

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オヤマリンドウ対マルハナバチ

IMG_20151010_160902.JPG竜胆(りんどう)の花は悪天や夜には閉じて、晴れるとわずかに開きます。竜胆は雄しべが先に成熟し、花粉を出しきった後に雌しべが成熟することから、効率的に確実に受粉するための竜胆なりの知恵かも知れません。
竜胆は天候が悪くなって来たんで店じまいをしようとしているのに、無理矢理顔を突っ込んで「まだ、良いじゃな
いの。」ってマルハナバチが粘っているようです。

山の会幹事@塔の岳

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優美なるかな、姫路城

ビーグル号の航海日誌 2015年10月07日 07:46

1444169378778.jpg1444169929506.jpgまあまあのお天気にも恵まれ、遠目にも白く美しい姿はよく目立ちます。別の名を白鷺城。自然の造形美には度肝を抜かれるほど圧倒される者が多いが、洗練された幾何学を組み合わせたような造形美は人の手によらねばできまい。[2015年9月20日撮影:兵庫県@山崎]

築城は南北朝時代、1346年。渦郭式平山城、連立式望楼型5重6階地下1階。初代城主は赤松貞規範。戦国時代から安土桃山時代にかけ、城主が黒田氏、羽柴氏の時に城郭が拡張され、霞ヶ関の戦いの後、城主池田輝政により大規模な城郭に発展した。1444169275830.jpg1444169416778.jpg明治4年(1871年)、廃藩置県により陸軍の管轄下、同6年(1873年)の廃城令により全国の多くの城が取り壊されたが、保存の動きもあり修復保存が図られ、今日に至るという。

太平洋戦争時の2度の姫路空襲による焼夷弾が不発だったという幸運もあったのだそうです。姿形が優美だということだけではなく、幸運、運気の上がる白鷺城ということです。


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ヒカリゴケ

ビーグル号の航海日誌 2015年10月06日 17:58

IMG_2003.JPG
キレイに撮れました。
ヒカリゴケ。

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紅葉と草紅葉(山の会@奥白根山)

ビーグル号の航海日誌 2015年10月04日 22:48

1443966158825.jpg1443966173222.jpg秋山の魅力はやはり紅葉の美しさですね。
ナナカマド、ヤマウルシやタデカンバの赤や黄の紅葉も良いですが、登山道の脇にある草紅葉もなかなかです。奥白根山では、ゴゼンタチバナの赤い実が登山者の眼を楽しませていました。

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エコカフェ山の会活動報告

1443907565516.jpg秋真っ盛りの日光白根山に行ってきました。深谷久弥の百名山では奥白根山と紹介されていますが、変化に富んだ素晴らしい山でした。岩襖を立て連ねたようと表現された山容に、登山前は少し「大丈夫かな」と思いましたが、皆さん元気に登頂いただけました。

山の会 幹事中むら

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當麻寺は静寂の中に

ビーグル号の航海日誌 2015年10月03日 00:00

1443567241308.jpgまさに時間が止まっているかのような佇まいである。奈良県葛城市当麻に當麻寺はある。東西二つの三重塔で有名だが、訪れる観光客は京都の寺院とは異なり少ない。墓地の永代料30万円の立て看板が空々しい。今日、境内には真言宗5院、浄土宗8院の子院を抱えます。[2015年9月29日撮影:當麻寺@山崎]

創建は推古天皇20年(612年)、開基は麻呂古王(聖徳太子の義母弟)と伝承。天武天応9年(680年)、当麻真人国見が遷造。創建地などに諸説あり。本尊は、創建当時は弥勒仏(金堂に安置、白鳳時代作の塑像、遷造時に役行者所持の孔雀明王像を胎内仏に納め祀る)、鎌倉時代以降は當麻曼荼羅(本堂に安置)。1443651185250.jpg宗派は高野山真言宗と浄土宗。山号の二上山とは、奈良盆地の西に実際に位置し、東の神体山である三輪山に相対し、双耳形の2つの峰を持ち、夕日がその間に沈む情景から西方極楽浄土の入り口、死者の魂が赴く地であると考えられてきた。河内と大和を結ぶ重要な交通路が通い、豪族葛城氏の一族の当麻氏の氏寺として建立されたという。治承4年(1180年)の南都焼き討ちで東塔、西塔、本堂を除き焼失。平安時代末期に末法思想の普及により、阿弥陀堂が建立、当麻曼荼羅を安置。

平安時代末期、末法思想が広まり現世の幸せを諦め、来世に阿弥陀如来の極楽浄土に生まれ変わることを願うようになり、元興寺(本尊:智光曼荼羅)と同様に曼荼羅を本尊とする寺院へと変遷していったと考えられています。


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栗林公園の情緒を

ビーグル号の航海日誌 2015年09月27日 08:11

150919栗林公園@エコカフェ.jpg金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園を日本三大名園というが、これらを凌ぐ名園ともいわれる。江戸時代、讃岐高松藩主の下屋敷として長く利用され、現在では文化財庭園として国の特別名勝に指定されています。[2015年9月19日撮影:香川県高松市@山崎]

紫雲山を借景に13の築山、6つの池を配し、回遊式庭園の南庭と準洋式の北庭から構成。面積は約75ha。室町時代の16世紀末、豪族佐藤氏の別邸として築庭され、その後、1625年頃、讃岐国国主生駒高俊により南庭一体が造営。寛永19年(1642年)、高松藩主に水戸徳川家連枝松平頼重が入封、以後松平家が5代、100年に渡り造営を続け、延亨2年(1745年)に完成。150919栗林公園3@エコカフェ.jpg150919栗林公園2@エコカフェ.jpg明治4年の廃藩置県により明治政府管理下、明治8年(1875年)に県立公園に移行し、現在に至る。

名前の由来は北門付近に当初は栗林があったため、その後、鴨猟の邪魔になることから伐採されてしまったという。庭園には松、桜、梅などが植栽されており、その美しさはお見事としか言いようがありません。


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鳴門の渦潮の迫力に

ビーグル号の航海日誌 2015年09月26日 19:38

1443263221672.jpg生まれては消えるうず潮。消えては生まれるうず潮。次から次へと、場所を変えながら、魔物が潜んでいるかのようで、飽きることはない。[2015年9月19日撮影:鳴門海峡@山崎]

鳴門海峡は瀬戸内海と太平洋を結ぶ幅約1.3kmの海峡。潮汐により1日に2回、瀬戸内海と太平洋を海水が行き来する。その水位差はなんと1.5mにもなり、潮流は速度にして14km/時にもなる。海峡の幅が狭いこと、海底の地形が複雑なこと、から早い潮流と両岸近くの遅い流れの潮目で渦が発生するという。1443263361190.jpg1443263259930.jpg大潮時には最大直径30mにもなる渦潮が発生するそうですよ。

大鳴門大橋の橋桁「渦の道」から鳴門海峡にできるうず潮を見ることができる。もちろん遊覧船から間近に眺めることもできる。世界三大潮流にも数えられ、一見の価値ありです。


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代々木八幡神社例大祭で神輿渡御を

ビーグル号の航海日誌 2015年09月24日 00:19

150923代々木八幡神社@エコカフェ.jpg秋分の日、暑さ寒さも彼岸まで、今日は気持ちの良い一日となりました。代々木八幡神社の例大祭、昨日に続き、神輿渡御といって、神霊が移された神輿を氏子各地区を巡行します。[2015年9月23日撮影:代々木上原@山崎]

神輿の担ぎ手、祭囃子や音頭を奏でるのも氏子である。子ども神輿もあって町内会は秋祭り一色です。渡御行列は簡略化されたものになっています。代々木八幡神社境内には出店がたくさん出て多くの参拝者でにぎわいを見せていました。150923代々木八幡神社B@エコカフェ.jpg150923代々木八幡神社C@エコカフェ.jpg
渡御の運行は例祭によりかなり異なり、厳かに運行されるもの、威勢よく担がれるもの、水中で担がれるもの、船渡御となるもの、などがあるそうです。行列を猿田彦が先導し、御幣、笠鉾、幟、高張提灯、太鼓などの露払い役目があって、神輿が続く。神輿には雅楽や祭囃子、音頭などが奏でられ、調子を整え盛り立てます。


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鳩森八幡神社の例大祭は

ビーグル号の航海日誌 2015年09月20日 23:48

1442296630056.jpg鳩森八幡神社は境内に富士塚があることから前このブログでも紹介した。今回は千駄ヶ谷生協に買い物に行った際に神輿渡御の列に出会ったので例大祭について書こうと思う。[2015年9月13日撮影:千駄ヶ谷@山崎]

鳩森八幡神社の御祭神は、他の八幡神社と同様に応神天皇神功皇后(応神天皇の母)。総本山は大分の宇佐神宮(宇佐八幡宮)であって、古く伊勢神宮とともに皇室の祖先をお祀りする二所宗廟をなす。1442296691148.jpg1442296650738.jpg奈良時代から平安時代にかけ八幡神は応神天皇の神霊として習合したため。平安時代には武神、源氏の氏神とし、以降江戸時代まで武家の守護神、国家鎮護の神、明治の廃仏毀釈を経て、現在では平和を守る神として、産業・文化の発展と守護、子育て安産、渡航平安などにご利益があるという。鳩森八幡神社では9月12日・13日(従来旧暦8月15日)に例大祭の儀を斎行し、初日に安泰・五穀豊穣を感謝し参拝、奉納舞踊、翌日に神霊が氏子地区を周る連合渡御、献能(薪能)が行われます。

八幡神は託宣をよくする神であり、応神天皇と習合したため、皇室(大和朝廷)にとっては天照大神に次ぐ守護神にされたという。仏様との習合にあっては、本地垂迹において八幡神の本地仏は阿弥陀如来であったとされます。当時は宇佐八幡宮弥勒寺と称したそうです。


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筑波山神社は古神道に通ず

ビーグル号の航海日誌 2015年09月16日 03:03

150613 筑波山神社@エコカフェ.JPG筑波山は古来より信仰の山、神体山として知られる。双耳形の山で西峰(男体山頂)に筑波男大神(伊弉諾尊)、東峰(女体山頂)に筑波女体大神(伊弉冉尊)を祀り、筑波山神社と崇め奉ってきたという。[2015年6月13日撮影:筑波山@阿部]

仏教伝来による神仏習合で筑波両大権現(筑波山男大神は千手観音、筑波山女大神は十一面観音を本地)となったが、江戸時代に入り、江戸城の鬼門に当たることから封じのための祈願所とし、特に、中禅寺を庇護したという。150613大鳥居@エコカフェ.JPG明治元年、神仏分離令(廃仏毀釈)により、中禅寺は廃寺となり、神体山信仰の古制に復し、筑波山神社が復興し、明治8年(1875年)に遥拝のための拝殿が造営され、今日に至る。また、それぞれの頂にそれぞれの本殿が再建、鎮座する。

拝殿の西側に筑波山ケーブルカーの宮脇駅があって、今日では容易に登ることができる。かつての仁王門は、なぜか随神門と名を変えて残され、左には倭建命、右には豊木入日子命が守護しています。


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恵比寿神社の由緒は

ビーグル号の航海日誌 2015年09月02日 23:08

150824恵比寿神社@エコカフェ.jpg夏の終わり、夕闇の散策。JR恵比寿駅から西へ少し歩くと恵比寿神社が鎮座。古くから六柱神が祀られ、地域の人びとからは大六天様と呼ばれ親しまれてきたという。由緒は不明だが、祭神の名前を知れば古いことが知れよう。[2015年8月24日:渋谷区恵比寿@阿部]

創建は不詳。主祭神は国常立神、豊雲野神、角代神、意富斗能地神、伊邪那妓命、伊邪那美命、神代主命。昭和34年(1959年)、駅前から遷座した際、兵庫県の西宮神社から恵比寿神(神代主命)を勧請、合祀。150824恵比寿神社鳥居@エコカフェ.jpgその時に天津神社から改称したという。

三大恵比寿神社は京都、大阪今宮、西宮の恵比寿神社だそうです。恵比寿様は伊弉諾尊の第三子である蛭子尊(ひるこのみこと)と同一視されることがあります。


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しっとりとした小雨模様

ビーグル号の航海日誌 2015年08月30日 07:49

1440858943491.jpg真夏の暑さを忘れさせてくれるような
しっとりとした小雨模様です。
日曜日の静かな朝が開きました。
こんな日は終日のんびりと過ごしたいものです。
太陽がないと時刻も止まったような
心身までもがゆっくりと癒されます。



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新たな試みへの挑戦を

ビーグル号の航海日誌 2015年08月27日 23:21

1440676570666.jpg真夏の夜の夢
夢を実現するために
深く豊かな着想が湧き出る泉に
命のエネルギーがほとばしるほどに
かくも多様な人生経験をもった人びとが
好き勝手なことを言い放ち
それを知恵の輪でつないでゆくと
融通無碍の物語が生まれよう
1440676602451.jpg1440676649874.jpg納期は月内とし
磨きをかけてゆかん


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勝連城跡は琉球統一後の古の動乱を今に

ビーグル号の航海日誌 2015年08月24日 00:41

150625勝連城四の曲輪から@エコカフェ.JPG勝連半島の付け根に位置する山城。琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界文化遺産に2000年に登録。築城は13世紀から14世紀頃と考えられ、最も古いグスクでもある。最後の10代目城主が阿麻和利(あまわり)。外国との交易で繁栄し、強大な力を有するに至った。[2015年6月26日撮影:沖縄本島中北部視察@阿部]

伝説では、初代城主は英祖王系2代目大成王の五男勝連按司。五代続き六代目に伊波按司の六男を養子縁組、7・8代目が浜川按司、9代目が茂知附按司。150625勝連城三の曲輪@エコカフェ.JPG150625勝連城一の曲輪から@エコカフェ .JPG勝連城は四の曲輪(郭)からなり、一番下の四の曲輪からなだらかに登ると三の曲輪に入る郭門跡(四脚門跡)に出る。三の曲輪から二の曲輪には3つの階段が取りついている。二の曲輪には按司の館である正殿跡があり、その手前の三の曲輪で肝高御嶽があり祭祀等儀式が行われた。二の曲輪から石段を登ると、垂直の絶壁が巡らされた一の曲輪に至り、拱門(石造アーチ式の門)跡があり、一の曲輪には瓦葺の建物があったとされます。

尚氏により1429年に琉球統一。それまでは首里城、今帰仁城、島尻大里城の三山。統一後も安定せず、勝蓮城が台頭、首里王府を脅かす。1458年、護佐丸・阿麻和利の乱により、最後の決戦が勝連城で戦われ、王府勝利で終結。勝連城は、琉球統一から安定までの動乱期を語ってくれているのです。


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