備中松山城(高梁城)は雲霧に

ビーグル号の航海日誌 2014年05月18日 09:27

140318備中松山城@青柳_n.jpg中国地方は中国山地を背骨に山陰と山陽に分かれ、いくつかのなだらか地点が往来に適していた。稲作に適した平野も広いわけではなかった。古くから敵の侵入を見張る意味で山城が築かれたという。標高430mの臥牛山(小松山、大松山、天神の丸、前山)に高橋城が展開し、城郭構造は連郭式山城、天守構造は複合式望楼型2重2階という。[2014年4月18日撮影:高梁市@青柳]

築城は1240年(仁治元年)、秋葉重信が大松山に城を築いたのが起源。城主は上野氏、庄氏、三村氏と変遷。1574年(天正2年)、三村元親は毛利氏から離反し織田信長に寝返ったため、毛利氏との間に備中兵乱が起こり、小早川隆景により落城、毛利氏の手中。140318備中松山城@青柳n.jpg近世(江戸時代)に入って、城主は池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏と移り、板倉氏が最後となり、明治を迎えることになったという。明治6年の廃城令の公布により翌年に廃城・放置、昭和に入り国宝保存法等の制定により現重要文化財に指定、国の史跡にも指定され、今は高梁市が管理しているそうです。

高梁城は戦国時代から現在に至るまで城主が変遷しながらもよく保存されてきたほうであろう。この城は初冬の季節には、雲霧に包まれることが多く、幻想的な姿を見せてくれるそうだ


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