蘇我入鹿の首塚と五輪塔!?

ビーグル号の航海日誌 2013年11月20日 07:42

入鹿の首塚@エコカフェ.jpg飛鳥寺の西門から100mほど西の田んぼの中に一基の五輪塔がある。俗に「入鹿の首塚」と呼ばれているが、五輪塔と首塚は結びつかず、真意は疑わしい。正式名称は五輪塚五輪塔、鎌倉時代のものらしい。

時は6世紀から7世紀前半、蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿ら蘇我氏は、政略結婚により天皇家に近づき、物部氏を代表とする廃仏派豪族を滅ぼし、大和朝廷の権力を掌握していった。蘇我氏の氏寺である飛鳥寺の南には皇極天皇が造営した飛鳥坂蓋宮があった。宮の大黒殿が大化の改新乙巳の変の舞台となった場所とされる。高句麗、百済、新羅の三韓の使者が皇極天皇に調(贈り物)を捧げる儀式の最中に、中大兄皇子、中臣鎌足、佐伯連子麻呂、葛城稚犬養連網田により蘇我入鹿が暗殺されたという。その時に刎ねた首は首塚まで600mも飛んでいったという。後世その念を封じ供養のために建てられたとか。

五輪塔とは南北朝時代(1336年から1392年)を中心によく建てられたお墓の形式。密教では塔婆の立体的な形式で、五大(体)を表し、宇宙の根本を司り、下から方形、球形(三角錐)、三角形、半球形(半月型)、団形(宝珠型)の石を積み、それぞれが地、水、火、風、空を表現するのだそうです。


関連記事(首切り地蔵の伝承から)⇒
人気ブログランキングへにほんブログ村 環境ブログへ


posted by エコ・カフェ事務局 | Comment(0) | TrackBack(0)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※エコ・カフェ事務局が承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/80982074
※エコ・カフェ事務局が承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

▲このページのトップへ