平泉中尊寺と仏教の変遷

ビーグル号の航海日誌 2013年01月10日 23:09

100820金色堂覆堂@エコカフェ.JPG寒い日が続きます。少しばかり古(いにしえ)に心を馳せてみた。心が乱れているわけではないのだが。東北と仏とは。538年、朝鮮半島百済から日本に伝来した仏教は、奥陸奥に伝搬するまでにおよそ400年の歳月を要したという。それは古代国家による大化の改新(645年)以降の領土拡大、蝦夷地支配といった北進と一体とされ、当時次々と建立された国見廃寺などの寺院は法相宗系の奈良仏教が中心であったようです。[2010年8月20日撮影:中尊寺@山崎]

金色堂ポスター@エコカフェ.jpg100820金色堂覆堂看板@エコカフェ.JPGその後、前九年合戦(1051年から62年)と後三年合戦(1082年から7年)により、安部氏が滅亡し藤原氏が台頭したことにより、中央の時代風潮を受け比叡山天台宗、中世仏教が取って代わることになったという。陸奥国府領と奥六郡鎮守府領をつなぐ要所、衣関を見下ろす関山(標高140m)に建立された中尊寺はまさに変革の象徴的であり、諸堂の構成は比叡山延暦寺にならったといいます。

法華経、密教と浄土教が信仰の中心とされ、諸堂のうち金色堂は阿弥陀経に説かれる極楽浄土をこの世に出現させしめる意図で建立されたそうです。中国や南方の国々から宝玉、香木、象牙などが取り寄せられ、随所に螺鈿細工が施され、その技法はエジプトに起源をもち唐から日本に伝わったものといいます。三基の須弥壇に本尊の阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)六地蔵像二天像(持国天、増長天)が祀られ、絢爛きらびやかな不思議な空間が広がっています。


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