奥州平泉、顔面大仏の古を今に

ビーグル号の航海日誌 2012年01月30日 20:47

北限の磨崖仏@エコカフェ.JPG奥州平泉の達谷窟毘沙門堂左手の岸壁に「顔面大仏」と呼ばれる磨崖仏があります。これは11世紀後半に起こった「奥州十二年合戦」で戦没した兵士の御霊を鎮魂するため、11世紀末に造彫されたと伝えられています。当初は55尺(16.5m)の全身像で地面まであったが、明治29年の「明治三陸大地震」により胸部から下が崩落し、今日でも磨滅が進んでいるという。[2010年8月20日撮影:北限の磨崖仏@阿部]

顔面大仏@エコカフェ.JPGこの顔面大仏については、1695年(元禄9年)の記録によるとは「大日之尊體」とあり、「大日如来」とする考えがある。一方、足元の「文保の古碑」(1317年建立)には阿弥陀如来の種字である梵字「キリク」が刻まれていることから、「阿弥陀如来」とするのが素直ではないでしょうか。

藤原時代に入ると末法思想がはびこり多くの阿弥陀如来像が作られるようになったそうです。ちょうど時を同じくして、九州から東北まで各地に巨大摩崖石仏群が造営され、臼杵石仏群、春日山石窟仏、日石寺不動三尊像、大谷寺石仏、福島の大悲山石仏群が知られています。ぼちぼち古を今に訪ねてみましょう


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