天平の甍を平成から

ビーグル号の航海日誌 2009年12月18日 14:30

12180003.jpg井上靖作「天平の甍」を今日的にどのように理解すべきか。唐招提寺を訪ねてみた。こんな季節にこの寺を訪れる人は少ないようだ。

仏教伝来し日の浅い日本国に仏教を正しく広めるため、仏教者に戒律を授ける伝師たる高僧を唐から招きたいとする仏教界と聖武天皇。733(天平5)年、第九遣唐使とともに渡航した留学僧の普照、栄叡は、742年に揚州(江蘇省)の大明寺で鑑真と出逢う。IMGP7035.JPGその後、鑑真は11年の歳月と6回の航海を経て来日する。754年、東大寺大仏殿前で聖武天皇ら400名に菩薩戒を授けた。759年に唐招提寺を建立、律宗総本山で本尊は廬舎那仏である。鑑真は761年に日本の東西に戒壇を開設するとともに、僧侶を指導する高僧の教育制度づくりを目指すほか、薬草を日本に初めて移入し、貧民救済にも尽力したとされる。鑑真自身も時の政治に翻弄され苦労も多かったとされる。

当時は聖武天皇の詔により一国一寺、国分寺・国分尼寺の建立が督促されるなど建立費用確保で地方経済は疲弊し、多くの庶民が一番の犠牲者になったようです。平成の国づくりはこれからどうなるのでしょうか。

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