勝連城跡は琉球統一後の古の動乱を今に

ビーグル号の航海日誌 2015年08月24日 00:41

150625勝連城四の曲輪から@エコカフェ.JPG勝連半島の付け根に位置する山城。琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界文化遺産に2000年に登録。築城は13世紀から14世紀頃と考えられ、最も古いグスクでもある。最後の10代目城主が阿麻和利(あまわり)。外国との交易で繁栄し、強大な力を有するに至った。[2015年6月26日撮影:沖縄本島中北部視察@阿部]

伝説では、初代城主は英祖王系2代目大成王の五男勝連按司。五代続き六代目に伊波按司の六男を養子縁組、7・8代目が浜川按司、9代目が茂知附按司。150625勝連城三の曲輪@エコカフェ.JPG150625勝連城一の曲輪から@エコカフェ .JPG勝連城は四の曲輪(郭)からなり、一番下の四の曲輪からなだらかに登ると三の曲輪に入る郭門跡(四脚門跡)に出る。三の曲輪から二の曲輪には3つの階段が取りついている。二の曲輪には按司の館である正殿跡があり、その手前の三の曲輪で肝高御嶽があり祭祀等儀式が行われた。二の曲輪から石段を登ると、垂直の絶壁が巡らされた一の曲輪に至り、拱門(石造アーチ式の門)跡があり、一の曲輪には瓦葺の建物があったとされます。

尚氏により1429年に琉球統一。それまでは首里城、今帰仁城、島尻大里城の三山。統一後も安定せず、勝蓮城が台頭、首里王府を脅かす。1458年、護佐丸・阿麻和利の乱により、最後の決戦が勝連城で戦われ、王府勝利で終結。勝連城は、琉球統一から安定までの動乱期を語ってくれているのです。


関連記事(パワースポット、斎場御嶽)⇒
人気ブログランキングへにほんブログ村 環境ブログへ

posted by エコ・カフェ事務局 | Comment(0) | TrackBack(0)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※エコ・カフェ事務局が承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/162116632
※エコ・カフェ事務局が承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

▲このページのトップへ