昔の人の知恵を八重山諸島の黒島で

ビーグル号の航海日誌 2015年07月20日 03:04

140314プズマリ@エコカフェ.JPG八重山諸島の黒島は牛の頭数が人口の10倍以上もあるため「牛の島」として知られます。かつて島にあった照葉樹林の森は、10年前から機械による開墾をしてすっかり牧場に改変されてしまっています。牧場の所々に牛の木陰として残されたガジュマルの大木が名残を伝えています。そんな黒島の宮里海岸近くに琉球石灰岩塊を積み上げた丸い小山があります。解説版がありました。[2014年3月14日撮影:黒島@山崎]

140314プズマリ案内@エコカフェ.JPGここは黒島で一番高い場所に位置し、琉球王国時代の1644年頃、薩摩藩の要請により海上交通を監視するための遠見台(火番盛)が整備されたそうです。このような遠見台は八重山諸島の13の島々に全18ヶ所点在し、船の航行状況や何かあると火や煙を用いて島から島へとリレー方式で合図(情報)が伝達され、最終的には石垣島にあった琉球府の役所まで伝えられたといいます。火であれば夜でも伝達が可能であったということです。島々が近いし見えぬ島影の様子などを伝えるには十分役立ったことであろう。

このように烽火による情報伝達は古くから行われていたとされる。万里の長城にそれらしき遺構が残っており、唐代の書物にも記述があるそうだ。日本でも東北平定後の9世紀頃に、軍事的な体制整備の一環として烽火が使われたと考えられているようです。


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