征夷大将軍・源頼朝の墓は小っさく

ビーグル号の航海日誌 2015年02月07日 07:59

150201源頼朝の墓@エコカフェ.JPG西御門白旗神社の境内、大倉山の中腹にその墓はある。建久10年(1199年)、薨去。葬られた持仏堂は、以後、法華堂と呼ばれてようになったという。鎌倉幕府の初代征夷大将軍、以外にも小さな墓である。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

現在の石塔は安永8年(1779年)、子孫と称する25代薩摩藩主・島津重豪が建立。石塔の前に法華堂があったが、明治に入り廃仏毀釈で取り壊された。その代わりに、明治5年(1872年)に白旗神社を遷座したという。150201源頼朝墓全景@エコカフェ.JPG源頼朝と言えば、平治4年(1159年)の平治の乱後、伊豆国蛭ケ小島で流人、治承4年(1180年)に挙兵、奥州合戦、壇ノ浦の戦いをへて源氏再興を遂げた人物である。墓の立派さをもって、その人の偉業や周囲の人びとの敬愛を論ずるのは適当ではないのかもしれないが、霊廟もなく墓所としても小さいなと感ぜずにはいられませんでした。

法号は「武皇嘯原大禅門」(ぶこうしょうげんだいぜんもん)。頼朝の死因亡については、鎌倉幕府公式記録『吾妻鏡』にも仏事の記録しかなく、落馬説や病気説、陰謀説など謎に包まれているようです。


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タグ:鎌倉
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