わたしたちのeco ACTION!!!「豆腐作り篇」

ビーグル号の航海日誌 2015年07月20日 20:24

image[2].jpgimage.jpg全国の高校生諸君に向けたフリーペーパー『JSBN PRESS』に記事掲載。現在、2000校以上に配信中。エコカフェでは、編集部と共同して企画『わたしたちのeco ACTION!!!』をリリースしています。

平成27年度は『「日本の食文化」かから「環境問題」を考える』を取り上げています。7月号は豆腐作り篇として、染野屋さんの静岡にある生産工場を訪問し、社長の小野篤人さんにもインタビューを行いました。

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南佐渡片野尾八十八箇所霊場の今昔

120804片野尾八十八箇所霊場案内図@エコカフェ.JPG海岸道路を車で走っていると、海岸にへばりつく様に広がっている片野尾集落につく。トキ最後のねぐらのあった地だ。海風が暑さを多少和らげてくれるが、真夏の佐渡は例外なく暑いことにはかわりがない。片野尾集落の山側の斜面地には「四国八十八箇所霊場」が点在しています。[2012年8月4日撮影:佐渡エコツアー@阿部]

江戸時代初期、四国八十八箇所を僧侶だけではなく民衆が巡礼することが広まった。中期になると、全国各地で四国を模して地域の真言宗寺院を巡礼すれば、四国に行かなくとも同様のご利益が得られるとする風習が生まれた。120804片野尾八十八箇所進路無理@エコカフェ.JPG佐渡島もその例外ではく島内88箇所の寺が列せられています。ここ片野尾だけは特別に集落内に八十八箇所が設けられているがなぜか。明治12年、妙快尼は本四国八十八箇所順拝を重ね、霊妙を奉戴し、故郷の片野尾に村人の協力を得て建立したのが始まりと伝えられる。妙快尼は越後小千谷照尊寺一心庵の師匠覚定尼の姉妹覚順尼が他界されたため地域で保存の努力をされているようです。残念ながら訪問した時は鬱蒼と植物が覆い尽くしとても分け入ることができませんでした。

また、農民歌舞伎である「片野尾歌舞伎」が残っており、昭和39年から後継者不足で上演はされていないが、保存会があって2年に1度、昨年は5月25日に公民館で定期公演が行われたそうです。時代の荒波は地方の小さな村には厳しさが容赦ないのが現実のようです。何を後世に起こすかは今の国民全体の避けてはいけない宿題だと思います。




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昔の人の知恵を八重山諸島の黒島で

140314プズマリ@エコカフェ.JPG八重山諸島の黒島は牛の頭数が人口の10倍以上もあるため「牛の島」として知られます。かつて島にあった照葉樹林の森は、10年前から機械による開墾をしてすっかり牧場に改変されてしまっています。牧場の所々に牛の木陰として残されたガジュマルの大木が名残を伝えています。そんな黒島の宮里海岸近くに琉球石灰岩塊を積み上げた丸い小山があります。解説版がありました。[2014年3月14日撮影:黒島@山崎]

140314プズマリ案内@エコカフェ.JPGここは黒島で一番高い場所に位置し、琉球王国時代の1644年頃、薩摩藩の要請により海上交通を監視するための遠見台(火番盛)が整備されたそうです。このような遠見台は八重山諸島の13の島々に全18ヶ所点在し、船の航行状況や何かあると火や煙を用いて島から島へとリレー方式で合図(情報)が伝達され、最終的には石垣島にあった琉球府の役所まで伝えられたといいます。火であれば夜でも伝達が可能であったということです。島々が近いし見えぬ島影の様子などを伝えるには十分役立ったことであろう。

このように烽火による情報伝達は古くから行われていたとされる。万里の長城にそれらしき遺構が残っており、唐代の書物にも記述があるそうだ。日本でも東北平定後の9世紀頃に、軍事的な体制整備の一環として烽火が使われたと考えられているようです。


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なぜ、四日市に諏訪神社が

150717諏訪神社鳥居@エコカフェ.jpg四日市は石油化学コンビナート工場の町。近鉄四日市駅とJR東海四日市駅の中間点の街中あるのが諏訪神社。何故この地に諏訪神社があるのだろう。境内は広く摂社のほかに政成稲荷大明神、菅原神社なども祀られているようだ。諏訪神社といえば信州にある諏訪大社の分霊に違いないからである。そこで云われを調べてみた。[2015年7月17日撮影:四日市市@山崎]

創建は1202年(建仁2年)、信州の諏訪大社から勧請したとある。150717政成稲荷大明神@エコカフェ.jpg祭神は行動力(武)に優れた大国主命の御子で弟の建御名方命(たけみなかたのかみ)、兄の言霊(文)を司る八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)の2柱。ただし、文献からは15世紀前後、初代浜田城主田原赤堀美作忠秀の父が上野国赤堀から進出、元々赤堀で屋敷神として祀っていたことに由来すると推察されるという。大国主命が天照大神から国譲りを迫られたとき、最後まで抵抗したのが建御名方命、出雲から信濃(諏訪)へ逃れ、そこを開拓し、害獣を退治し、農耕・養蚕を広めたとされている。五穀豊穣の神。狩猟の神、武神として崇敬。古く出雲の地から東へと大きな人びとの移動があったと考えてよさそうですね。

田原氏進出に伴い四日市・浜田の産土神とされた。江戸時代には四日市が東海道の宿場町として栄え、八重事代主命が「えびす様」と同一視されたことから「えびす講」が盛んとなり、天津神々の地でしっかり永らえた。1873年(明治6年)に新社格制度のもとで県社、1916年(大正5年)には四日市市に移管され、今日に至ります。


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