尾高藍香の生家はひっそりと

ビーグル号の航海日誌 2015年02月27日 21:09

140906尾高藍香生家@エコカフェ.JPG深谷市(旧豊里村、旧々八基村、旧々々下手計村)下手計に尾高藍香の生家があります。訪れた時は、静かな時間が流れていました。天保元年(1830年)生まれ、本名を惇忠、通称を新五郎といいます。澁澤榮一とは従兄弟にあたります。藍香の妹、千代が栄一に嫁いでいます。[2014年9月6日撮影:深谷市@山崎]

主屋は木造2階建。昔は2階にもお邪魔したことがあるが、現在は、人は住んでおらず、部屋に上がることはできない。裏庭に赤レンガ造りの倉庫があり、柿の木の古木が植えられています。140906和室@エコカフェ.JPG140906尾高藍香肖像@エコカフェ.JPG「藍香ありてこそ、青淵あり」と言われるほど、知行合一の水戸学に精通し、栄一の人生に多大な影響を与えたとされます。藍香、栄一、喜作らの青年同志が、時の尊王攘夷に共感し、高崎城の乗っ取りを謀議したのは、2階の和室だそうです。結果は、藍香の兄、長七郎に制せられ中止。茶屋二郎著『小説渋沢栄一 青淵の竜』でも触れられています。縁あって小説の中に使われた方言をチェックさせていただいたのを思い出す。

藍香は官営富岡製糸場の初代工場長や第一国立銀行仙台支店長などを歴任しています。旧下手計村の鎮守社である鹿島神社の境内には藍香の偉業を称える頌徳碑が建立されています。


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