澁澤榮一の生家「中の家」を

ビーグル号の航海日誌 2015年02月25日 00:29

140906渋沢英一生家@エコカフェ.JPG深谷市(旧豊里村、旧々八基村、旧々々血洗島村)血洗島に幕末から明治、大正期にかけ近代日本の資本主義の礎構築に活躍した渋沢栄一の生家が保存されています。栄一は、市内上敷免にレンガ工場を造り、その煉瓦は東京駅や横浜の赤レンガ倉庫、世界文化遺産の「富岡製糸場」などの近代建築に広く使われたんですよ。論語と算盤。〔2014年9月6日撮影:深谷市@山崎〕

栄一の生家「中の家」は養蚕農家であったが、染物用の藍玉の取引で財を成した。140906正門@エコカフェ.JPG140906渋沢栄一生家案内図@エコカフェ.JPG土蔵塀を巡らした敷地には明治28年築の母屋のほか副屋、土蔵があり、薬医門造りの正門と東門が外との出入りを許している。子どもの頃、半世紀近く前は、土蔵塀などもっと痛んでいたが綺麗に修繕されている。「中の家」前の畑も大型観光バスが来ても大丈夫なほど広い駐車場に変わっていた。「富岡製糸場」が官営工場であって、渋沢栄一が立上げに関わっていることから、そちらの観光の流れを期待してのことだろうか。

そもそも渋沢家は、血洗島の開拓者、戦国時代末期の天正年間に住み着いたとされる。「中の家」は一族の分家のひとつ、家の位置関係でそう呼称されていた。地名の由来は、血洗島が戦国時代には利根川の中州のひとつで、戦傷の血を洗ったことにあると聞いたのを思い出すが、真実や如何に。


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posted by エコ・カフェ事務局 | Comment(0) | TrackBack(0)

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