日蓮上人辻説法跡は

ビーグル号の航海日誌 2015年02月10日 08:47

150201日蓮上人辻説法跡@エコカフェ.JPG建長5年(1253年)、日蓮上人は鎌倉入りし、長勝寺近く松葉ヶ谷に草庵を結び、当時、武家屋敷や商家が混在する小町大路を中心に辻説法を行ったという。小町大路沿いに信者が整備したという立派な「日蓮上人辻説法跡碑」があります。[2015年1月31日撮影:鎌倉@山崎]

ここで日蓮上人の生立ちを紹介しておきます。承応2年(1222年)、安房国長狭郡東条郷片海(現鴨川市)小湊で誕生。150201日蓮上人辻説法跡看板@エコカフェ.JPG暦仁元年(1233年)出家、寛元3年(1245年)、比叡山定光院に住し、三井寺、薬師寺、仁和寺、高野山五坊寂静院、天王寺、東寺に遊学。建長5年(1253年)、清澄寺に帰山すると、4月28日、日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、清澄寺仏堂で初説法、日蓮と改名。日蓮宗(法華宗)。説法では他宗を非難。文応元年(1260年)、将軍北条時頼に「立正安国論」を建白、松葉ヶ谷法難、翌年に伊豆国伊東に流罪。文永8年(1272年)、佐渡流罪、2年後に赦免、蒙古襲来を予言、5ヶ月後、元寇(文永の役)。身延山久遠寺を開山。弘安5年(1282年)、10月13日、池上宗仲邸(現、大本山池上本門寺)で死去。

当時、鎌倉は地震や洪水、干ばつなどの災害、飢饉や疫病が流行り、人びとの間に末法思想が広まっていったようです。加えて、文久4年(1268年)には蒙古の国書が鎌倉に到着するなど、大変厳しい世相だったに違いありません。


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タグ:鎌倉
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