大コ寺と一休和尚

ビーグル号の航海日誌 2013年11月20日 23:32

大徳寺興臨院_n.jpg京都洛北紫野にある大コ寺、臨済宗大コ寺派総本山。創建は1325年(正中2年)、開基は大燈国師宗法妙超、本尊は釈迦如来です。桃山時代に武将たちが建てた塔頭の数は20を超え、どれも洗練された美しい枯山水庭園を伝えています。興臨院は畠山義総の建立。貴族、大名、豪商、文化人など多くの庇護や指示を受けて栄えたが、応仁の乱(1467年から77年)により荒廃。これを一休和尚が再興したという。[2013年11月7日:京都洛北@青柳]

大徳寺塔頭_n.jpg塔頭 総見院 信長公のお墓_n.jpg大徳寺の隆盛も後醍醐天皇没後、足利幕府下では京都五山から外されたため座禅修業に専心していったという。臨済宗の寺格には五山十刹とある。鎌倉・室町時代には幕府・公家の氏寺五か所を選ぶ献策があり、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺を鎌倉五山と定めた。また、南禅寺を五山の上に置き、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺を京都五山とした。五山では文学・学問が盛んであったという。中国の風水思想にある五感、五体、五臓をはじめ多くの物や事柄が五行(木、火、水、土、金)の5要素で成り立つということに由来するそうです。なお、京都十刹として等持寺、臨川寺、真如寺、安国寺、宝幢寺、普門寺、広覚寺、妙光寺、大徳寺、龍翔寺が定められたという。

室町・江戸時代を通じて、一休和尚、沢庵和尚をはじめ多くの名僧を輩出し座禅修業に専心。茶の湯の世界とも縁が深く、千利休、小堀遠州などの茶人とも関係が深かったため、今日まで多くの茶道具や茶室、絵画などの文化財が残されています。


関連記事(石垣島川平観音堂は古を今に)⇒
人気ブログランキングへにほんブログ村 環境ブログへ


posted by エコ・カフェ事務局 | Comment(0) | TrackBack(0)

▲このページのトップへ

蘇我入鹿の首塚と五輪塔!?

入鹿の首塚@エコカフェ.jpg飛鳥寺の西門から100mほど西の田んぼの中に一基の五輪塔がある。俗に「入鹿の首塚」と呼ばれているが、五輪塔と首塚は結びつかず、真意は疑わしい。正式名称は五輪塚五輪塔、鎌倉時代のものらしい。

時は6世紀から7世紀前半、蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿ら蘇我氏は、政略結婚により天皇家に近づき、物部氏を代表とする廃仏派豪族を滅ぼし、大和朝廷の権力を掌握していった。蘇我氏の氏寺である飛鳥寺の南には皇極天皇が造営した飛鳥坂蓋宮があった。宮の大黒殿が大化の改新乙巳の変の舞台となった場所とされる。高句麗、百済、新羅の三韓の使者が皇極天皇に調(贈り物)を捧げる儀式の最中に、中大兄皇子、中臣鎌足、佐伯連子麻呂、葛城稚犬養連網田により蘇我入鹿が暗殺されたという。その時に刎ねた首は首塚まで600mも飛んでいったという。後世その念を封じ供養のために建てられたとか。

五輪塔とは南北朝時代(1336年から1392年)を中心によく建てられたお墓の形式。密教では塔婆の立体的な形式で、五大(体)を表し、宇宙の根本を司り、下から方形、球形(三角錐)、三角形、半球形(半月型)、団形(宝珠型)の石を積み、それぞれが地、水、火、風、空を表現するのだそうです。


関連記事(首切り地蔵の伝承から)⇒
人気ブログランキングへにほんブログ村 環境ブログへ


posted by エコ・カフェ事務局 | Comment(0) | TrackBack(0)

▲このページのトップへ