聖徳太子ゆかりの橘寺

ビーグル号の航海日誌 2013年11月19日 22:35

橘寺@エコカフェn.jpg今日ではのどかな田園風景が広がる明日香村、そこには聖徳太子ゆかりの橘寺がある。寺伝によると聖徳太子(厩戸皇子)出生の地であるらしい。橘寺は正式名称を仏頭山上宮皇院菩提寺、天台宗寺院。寺伝によると606年(推古14年)に創建、開基は聖徳太子。天平時代から平安中期にかけて隆盛を極め、本尊を聖徳太子・如意輪観音とする。

聖徳太子といえば飛鳥時代を代表する人物のひとり、574年(敏達3年)に誕生、地政学的緊張状態にあった我が国を救うため、遣隋使を派遣して大陸の文化・制度を移入し、冠位十二階や十七条憲法を制定し、中央集権国家の確立を目指し、仏教の興隆に大きく貢献することで、その事態を打開していったと考えられる。その実在の真意は揺らいでいますが。

橘寺の名前の由来は、垂仁天皇の命により不老不死の果実を探しに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことにあるという。発掘調査では山田寺式伽藍配置、鎌倉時代以降衰え今に、境内には善悪2つの顔が刻まれた二面石や3つの副柱の穴をもつ五重塔の塔心礎石ばかりが残っています。


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凛とした飛鳥大仏に魅せられて

091125釈迦如来坐像@エコカフェ.JPG明日香村にある飛鳥寺安居院は蘇我氏の氏寺、587年(用明天皇2年)発願、創建は596年(推古天皇4年)、開基は蘇我馬子。現在は真言宗豊山派。飛鳥寺は法号を法興寺または元興寺、710年の平城遷都とともに奈良市に移した寺を元興寺と称し、飛鳥寺を本元興寺とも呼んでいます。[2009年11月25日撮影:明日香村@山崎]

本尊は飛鳥大仏と称される釈迦如来。金銅丈六仏で百済からの渡来人である鞍作止利(止利仏師とも)の作とされ、作者を同じとする法隆寺の釈迦三尊像にとてもよく似ています。飛鳥大仏@エコカフェ.jpgアーモンド・アイと呼ばれる大きく張った目、口角が上がった唇、細長い顔が特徴です。この仏様は、この地に動かざること1400年の時を超え、寺の趨勢もさることながら世相の移り変わりをただただじっと必死に見守ってこられたのです。

創建当時の飛鳥寺は塔を中心に東西と北に金銅を配しその外側に回廊をめぐらした伽藍配置、豊浦寺(現、向源寺)とともに日本最古の本格的仏教寺院という。887年(仁和3年)と1196年(建久7年)に落雷による火災で本堂焼失、寺勢は衰え、現在の本堂は1828年(文政11年)に再建されたものだそうです。


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石舞台古墳は古代のロマンを

091128石舞台@エコカフェ.JPG091128石舞台天井@エコカフェ.JPG古今東西、巨石による古代遺跡は注目を浴びるものだが、飛鳥地方(現明日香村)には多くの未解明の石造物が残されている。もっとも明日香村にある石舞台古墳は墳丘の盛り土が失われたため横穴式石室が露出したものとして明らかにされています。[2009年11月29日撮影:奈良県明日香村@山崎]

披葬者は大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父、蘇我馬子とする説が有力。日本書紀によると飛鳥時代626年(推古34年)5月に埋葬。発掘調査の結果、墳墓は方墳であって、一辺51mの方形基壇の周囲に貼石された空濠をめぐらし、さらに南北83m、東西81mの外堤をめぐらしていたとされます。両袖式の横穴式石室で南西方向に開口、総重量2300tの花崗岩約30個から組まれています。石は傍らを流れる冬野川の上流約3q、多武峰の麓から運ばれたという。

飛鳥地方中心に周辺には、謎の石造物として猿石、石人像、人頭石、二面石、亀石、亀型石造物、マラ石、弥勒石、須弥山石、酒船石、車石などが知られています。


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樫原神宮は朱塗りに彩られ

橿原神宮@エコカフェn.jpg樫原神宮は畝傍山東麓にあって春日大社とともに初詣の参拝者数が多いことで知られています。畝傍山東麓の樫原神宮の北側には神武天皇御陵があります。[2013年11月7日撮影:樫原神宮@青柳]

創建は1890年(明治23年)4月2日と近代。明治天皇が民間請願を受け、紀元前660年2月11日に第一代天皇の神武天皇の即位の礼が行われた宮址に創建したもので、主祭神は神武天皇、媛蹈韋五十鈴媛皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)を配祀。神武天皇は皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨の地である日向国、高千穂の宮にいたが、遥か東遷し幾多の困難に遭遇した後、ついに大和の国を中心とした中つ国を平定、国の基礎をつくられたとされます。

毎年、2月11日の建国記念日には勅使参向のもと紀元祭が行われます。4月3日には神武天皇祭も行われ多く参拝者で賑わうという。


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